数日前、思いがけないアクシデントに遭遇。
人間関係、エネルギー関係のアクシデントです。
以前の私なら数日熱を出してダウンし、「も~、いやだ」とベッドでごねているくらいの大きなアクシデント。
今回は意識の切り替えが早かった。
「自分自身のたてなおしの時だ」とまず久々にセルフ・ヒーリング !
どうやらこのヒーリングの効果は大きかったようで翌日、突然「大きなトラウマの解放」というチャンスに恵まれ、今もその波は続いています。
トラウマというのは簡単にいうとこころの傷のこと。実はこのトラウマは誰にでもあるもの、その多い、少ない、あるいは傷の深さの度合いの違いはあっても。
心理学者のアドラーはトラウマはないとしているとの説をよく目にしますが、私自身は「アドラーはトラウマがないと言っているのではなくトラウマを気にしていても仕方ないから、今から目的意識を変えた方が早いのではと言っているのではないか」と感じています。というと「課題の分離を理解していないのでは」とのご指摘うけそうですけど、その辺は捉え方の違いということでおゆるしを。
いずれにしても私自身トラウマがあります。そのトラウマが私たちの人生に大きな影を落としているので、トラウマに向き合うことで人生の方向性が大きく変えられるという説に共感しています。
その関連の本を読み始めたら、ボコボコとトラウマの記憶が蘇ってきたのです、無意識のうちに。セルフでのトラウマ・セラピーとでも言ったらいいのか、セルフなのでワークなのかはわからないけれど、自然に「あ、あの時、私はこういうことでものすごく傷ついていたんだ」ということが次から次に浮かびあがってきて新たな自分に出会えた気分。
元々トラウマはあるだろうと思っていましたが、何がどんな形で私を傷つけていたのか、そのキッカケになった出来事はどんなことなのか、今まではあまり浮かんでこなくて、ただし自分の影だろう部分だけはかなり徹底的に見つめるようにしてきました。
それでもその「徹底的」も自分の感覚では、ということなのでさらにさらに掘り下げる必要があったのかもしれません。
トラウマはあると認める。これが第一段階。
そのトラウマの原因となっただろう記憶を想い出す。これが第二段階。
その時の記憶はどうやら「認知の歪み」を生み出したようだ、と気が付く。これが第三段階。
そしてその認知の歪みを本来のところへと導く。これが第四段階。
この繰り返し、で少なくとも過去のトラウマに人生の手綱を握られる頻度は少なくなるようです。
通常、トラウマ・セラピーというと催眠療法などが一般的ですが、私の場合、自然に浮かんできたことを自分自身で分析して、その時のエネルギーを感じて、認知の歪みだろう事実を元に戻すような意識の書き換えを行う、というやり方でかなり大きなトラウマが癒され始めています。
もちろん癒しはすべての癒しではなくそのトラウマに関してだけ、ですが、さまざまなトラウマが複合的に関連している時もあるので、一つのきっかけがつかめると、割と芋づる時に浮かんでくれるようです。
この作業が結果的にセラピーにつながり。そんなことをここ数日繰り返しています。
「えっ、あれがトラウマの原因 ?」ということがわかり、ある意味おもしろくもあり、逆にトラウマがあることで私たちは本来の自分に近づくチャンスをもらっている、ということで、生命の仕組みそのもののすばらしさというところにまで意識が拡がり始めています。
ということはそれ自体が一番大きな「ヒーリング = 癒し」になるということ。
私は一切のツールを使いません。自分の意識とエネルギーだけです。催眠療法などのメソッドも知りません。
少なくとも私自身においてはこれが有効のようです。
こんな形で自分自身のたてなおし、着々と進んでいます。人間関係、エネルギー関係のアクシデントがあったからこそ、の前進。
つらいな、悔しいな、大変だな。という感情が爆発したとしても、その後にチャンスあり !
私たちの心身魂にはそういう力が備わっていますよ、誰の命にも。そのことを実証し、実感し、命そのものに信頼を寄せる、そういう体験をさせてもらうためのアクシデントでした。アクシデントもまたあちらからのGiftだったということですね。
※ 追記 関連記事 ハートの体幹を鍛えよう 脳からハートの時代へ こころあらわれ右脳もリフレッシュ !
参考 『身体はトラウマを記録する~脳・心・体のつながりと回復のための手法』
分厚い本です。まだ20ページくらいしか読めていません。
そうそう、このエッセイ、エッセイ・カテゴリー「自愛 self love ・至福・自然・阿部佐智子」の99個目の記事です。なんでも「99」は福をもたらす分岐点にきたよ、のメッセージがあるんだとか。
Lucky ♪ 次の記事は「福来る」ということでしょうか。