素晴らしくいいお天気。
きのうの雪のお蔭で空も空気もキラッキラに輝いていますね。
愛犬・華実とのお散歩。きょうは海猫ちゃんに遭遇、です。海猫ちゃんとの遭遇率は割と高く、数日前は私の頭の真上を飛行している海猫ちゃんに出逢いました。
海猫・うみねこ。わがやの愛猫は「海・うみ」。先代猫は「海・かい」。まさに海猫ちゃんとはシンクロ状態なのかもしれません。
さて、その海猫ちゃんの上に出ていたのが、どうみても女神系、羽衣系の雲たちだったのです。それもひとつや二つではなく、複数、しかもでっかい。
その前に人型の凧が二つ。これもとてつもなくでっかい凧で人が空を泳いでいる感じ。遊泳、飛行に関係あり、と思っていたら、カモメ系からのメッセージがこの「遊泳」「飛行」の二つを含んでいる(『アニマルスピーク~自然の力を借りる』テッド・アンドリューズ著)というのですから驚きです。ここにもシンクロ。
さらに海猫で調べると、八戸に蕪島(かぶしま)神社というのがあって、なんでもそこは海猫の繁殖地として国指定天然記念物になっているところなんだとか。そこには弁財天とチキシマヒメミコト(女神様)が祀られているそうです。
なるほど女神系、天女系、羽衣系のシンクロ。紅梅と蝶々に誘われて でお話したように私はこの時「弁天」と名前の付く公園で一足早い春を感じています。
海猫はそもそも春告げ鳥なので、今遭遇する、ということは季節に関係なく人生に春が訪れた、ということでしょうか。
しかも弁財天がらみ。実は弁財天は川の神様でもあって、先ほどテレビで「神川」とついた学校の名前を目にしたばかり。ひっくり返せば「川神」です。弁財天は知恵、音楽、芸術、文学の神様であり、豊かさの神様でもあるとの説が一般的。流れるものの恩寵を施してくれる存在の象徴です。
前エッセイ、自分自身のたてなおし、着々と進んでいます でお話した『次の記事は「福来る」ということでしょうか。』の予言 ? 通りの展開が訪れました。
そうそう、こういうノリが苦手な場合はスルーなさってください。私は結構好きなので、ちゃんとお伝えしたいと思いました。私の場合、神、という存在は「大いなる存在」「宇宙の仕組みそのもの」としてとらえています、特定の神様、という信仰はありません。
おたがいさま。すべてのことはおたがいさまだし、おかげさま。
どうせなら気持ちよくそれらを感じていたい。
※ 追記 関連記事 良いも悪いもおかげさま !
海猫ちゃんと愛猫たちとの関係。実は愛猫たちは「弁財天」の遣いなのかも。なぁんて思うだけで幸せ気分です。
私自身はヒンドゥー哲学のサラスヴァティーという表現の方がしっくりくるけれど。
この記事はエッセイ・カテゴリー『第2章, ひかりのしずく第2章 1 自愛 self love ・至福・自然・阿部佐智子』の100個目の記事。
100は「神とのつながり」を意味する数字だそうです。
しばらくそういう欲求が薄れていたのですが、今さっそくサラスヴァティーの美しいポスト・カードを頼みました。なぜか頼んでいる時にデジャブ感覚。なぜか「頼んで」と打ったつもりが「楽しんで」になっていました。サラスヴァティー・エネルギーからのメッセージでしょうか。