はいはい、私は自己チューです。もっと言っちゃうとみんな自己チューです。それを表面にあらわしているかいないかの違いだけ。
なぜそんなに「自己チュー」をたたくのでしょう ? それって自分で自分をたたいているのと全然変わらないのに。
この感覚、今朝、浮かびあがってきてくれました。
自己チューとは、心理学的にいうと「自己中心性バイアス」と呼ばれるものなんだとか。その視点が「自分中心」という、文字通りの解釈です。
私は血液型「B型」なんですけど、「B型」って気まぐれとかマイペースとか自己チューとか、そういう定義ないですか ? そもそも血液型だけで「こういう性格」って決めることはできないはず。日本人は好きですよね、血液型分類というか。
以前私はモーター・スポーツのフィールドで仕事をしていたことがあるのですが、そこで外人レーサーにインタビューをした時、血液型を聞け、と言われて質問したところ「A型」だと。そのレーサーはちょっとスランプ傾向にあって、そっか、日本人なら落ち込むとかイジケルとかの感情を抱きやすい時期だな、と思い、そのことをぶつけてみたんですね。
「イジケルって何 ? そういう感情、僕たちにはないんだよ」
日本人なら、「A型」の人ってそれなりにイジケルこともあるのではないかと感じていたので、びっくりしました。それだって冷静に考えれば、私だってイジケル時はあるわけで血液型の問題ではないな、と。
そう、結局血液型による性格判断というものは、お遊びみたいな感覚で楽しめばいいものなのではないでしょうか ? こう感じることさえ自己チューなのかしら。
日本人は特に「わ」を重んじるので、自己チューの人は生きづらい、仲間外れにされたり、攻撃の対象にされることも少なくないかもしれません。人とつるむのが苦手だから一人で過ごすことも多く、すると「協調性に欠ける」とか言われたりして。
私は人とつるむのは苦手だけど、別に人間ぎらいじゃないから、感覚の合う人とは仲良くできる方。けれど確かに苦手な人と長時間いると精神的にものすごく疲れてしまうから、自己チューと言われても仕方ないかな。
自己チューにメリットはないのかと調べてみました。ありましたよ。
◎ 自分のペースを知っている
◎ ブレが少ない
◎ 一人で集中することが得意なので、ある特定のジャンルでは大きな力を発揮できる
と。もちろんデメリットもあります。
◎ 周りの人を疲れさせる
◎ その場から浮く
◎ わを乱す
など、一般的に自己チューで思いおこされるもの数々。
最初にお話した通り、みんな自己チューなところはあるんです。ただ日本の場合はそれをいやがる国民性があるので自己チューを抑圧する傾向が強く、自分自身で「私は自己チューではありません」と自己チューちゃんをたたいている場合が多いということ。
自己チューが進みすぎると自意識過剰になりやすいと言いますから、承認欲求の強い人などは実は自己チューちゃんを抑圧しているのではないでしょうか ? 今はSNS時代。そもそも承認欲求が強いから成立する文化だったりします。
そこから芸術や文化が生まれてくることもあるので承認欲求だっていけないことではないはず。
と考えれば自己チューだっていけないものではないはずなんですよね。
日本人は「良い子」教育がメインで「個性につながるかもしれない自己チュー」はいけないもの、とされている場合も少なくないのではないでしょうか。
みんなが自分の自己チューを認めてあげれば、いわゆる「自己チューなヤツ」は減ります。自分の自己チューちゃんを抑圧し痛めつけているから「なんでそんなにイジメルの ? 僕だって(私だって)あなたの一部なのに」と力をつけて大暴れしてしまっているのが今のこの時代の一つの潮流になっています。
私は思いっきり自分の内なる自己チューちゃんと仲直りしました、先ほど。これからも自己チューちゃんとは上手に付き合っていきたいし、『一人で集中することが得意なので、ある特定のジャンルでは大きな力を発揮できる』というメリットは私の強みになるものなので、ほどほど自己チューモードも大切にしていきたいな。
言葉の持つイメージだけで、それを「良い」「悪い」と判断することには限界があります。どんなものにでも「メリット」「デメリット」はある。その捉え方はみる人のフィルターによっても変わることがあります。あるいは時代が変われば今まであまり良くないとされてきたことが素晴らしく良いこと、と変わることだってあるくらいです。
なんでも「ほどほど」がよい、と言われることにはちゃんとした意味がありそうですよね。「ほどほど」を中途半端ではっきりしないととる場合もあったりして、すべてはその人のフィルター次第。
もしも今、自己チューなあの人のことが気になってイライラしているようなら、それはあなた自身の自己チューちゃんと仲直りできるチャンス。あなたのイライラもあちらからのGiftです。大切に受け取っていきませんか。
自己チューは誰にでも備わっている資質。もしかしたら財産かもしれません。
※ 追記 当エッセイの前のエッセイはこちらです。川鵜と紫詰草に遭遇 !
猫ちゃんってわんちゃんと比べると「気まぐれ」とか「わがまま」とか言われることが多いんです。実際に暮らしてみると確かに「気まぐれ」はあるけれど、「わがまま」というところはあまり感じません。むしろ「我がまま」という感じで私なんか自分を持っている感が素敵だな、と感じるくらい。
今、日本ではわんこの数より猫ちゃんの数の方が多くなったと言われたり、今の猫ちゃんブームをみてみると、人々の意識も変わり始めていることを感じませんか。
自分を持つことは素晴らしいことなんだ、という意識。
わがやはわんこもにゃんこもいるけれど、どちらも穏やかでどちらも優しくてどちらもかわいくて、私にとっては素晴らしき友たち。
彼らをみて「自己チュー」は感じないけれど、もしもその側面があったとしてもちゃんとみんなで共同生活できるんじゃないかな。人間同士だって変わらないはず。
お互いにお互いを尊重し合えれば。