「自然体」
これが来年からの10年の私の課題だそうです。
来年からの10年。まったく考えてもいなかった概念でした。
なるほど、2020は新たなるスタートの年だと言われていたのは、そこからの10年分の人生の旅を楽しみなさいというメッセージがこめられていたからなのですね。
「あなたはあなたの花を咲かせていますか」
この言葉が今朝一番のプレゼントでした。
また「愛本来の姿に戻る」、どうやらこれが「自然体」の意味らしいことも伝わってきました。
そういえば、とふと想い出すのは2011年の東日本大震災での被災。もしかしたら、2010年からの10年の私にとっての一番のポイントはあの震災だったのかもしれません。
震災以来私は瞑想をし続けるという習慣ができました。今はかなり時間が短縮化し、それほど瞑想にこころを傾けることはなくなりましたが、少なくともあの年は何をしていいのかわからなくて、ひがな一日瞑想を続けたこともありました。そもそも瞑想はするものではなく、その状態を指し示す言葉なのですが、当初はそんなことも知らずにただひたすら瞑想を行っていたのです。
あの地震こそが私の内的生活のスイッチだったのかもしれません。地震、自然からのプレゼントだったのかもしれませんね、少なくとも私にとっては。
さて、「自然体」な私は明日から何を楽しむのでしょう。
愛本来の姿を想い出した私は明日から何を歓びとするのでしょう。
今明確に浮かんできたのは、これまでの10年、私は「内的」活動が盛んだったこと。その活動の成果ともいうべき10年が明日からの10年になるのだろうこと。
それこそが私の花を咲かせる、ということなのかもしれません。
私の花は私自身の中に花開くと同時に、外に鮮やかな光を発するかのように開いてくれるのではないでしょうか。
共に人生を楽しむ親愛なるお仲間たちへ。
2020年、新たなスタート。楽しみましょう、大いに花を咲かせましょう。ハートからの歓びあふれる人生の旅路を。
毎瞬毎瞬を輝ける歓びのひかりとして。
※ 追記 当エッセイの前のエッセイはこちらです。脅迫観念がやわらいでいます
この12月、狂ったように本を読んでいました。きょうもまた一冊、こころの師となるかもしれない本が手元に届くことになっています。
すべて明日からの旅支度だったようです。
「きょうのお昼、どうする ?」
主人が言います、
「そうだ、お蕎麦はどう ? 年越しそば、お昼に食べよう。別に夜食べなくてはいけないということはないんだから。そういうことからどんどん自由になろう」
頭のかたい、超保守的な主人からの提案。
主人は主人なりに新たな10年の旅支度を整えていたのかもしれません。
仕方ないな、これからの10年も一緒に歩いていくか。