『私は冷たくて利己的な女』

「私は冷たくて利己的な女」

 

ちょっと口に出して言ってみてください。ものすごく罪悪感を感じたら、大丈夫なようならそのまましばらくそれを感じてみてください。

 

利己的と自己的の違いとか、利己と利他の違いとか、心理学的な利己の捉え方とか、むずかしい理論はおいといて。

 

なんとなく自分勝手な私、をイメージしてみてください。ただし、こわかったり不安だったりするようなら、すぐやめてくださいね。自分で自分をコントロールできる場合だけトライしてください。もちろんトライできなくても何も問題はありませんから。

 

多分、なんですけど仏教と心理学の相互交流によるスピリチュアルな心理学でお話した『自己牢獄を超えて―仏教心理学入門 』キャロライン・ブレイジャー  (著)を読んだせいで、突然「私は冷たくて利己的な女」という意識がわいてきてこのエネルギーを感じてみたら、半分エンドレス状態に近い感じでエネルギーがドドッと流れ出すのを感じたんです。この本では「自己」という言葉を使ってますけど。

 

私自身の感情というより集合意識につながってしまった感じ。とにかく止まらない、とどまるところを知らない、という感じです。あまりにも強いエネルギーなので、当エッセイ、ちょっとキツメの表現をしているところもあります。それくらい膨大なエネルギーだということです。

 

実際私たちは小さい時から「利他」的に生きなさいと教え込まれているし、どうも自分勝手はいけないと思い込みすぎているようで、時には自分勝手も仕方ないのに誰もが強い罪悪感を感じているみたい。

 

今年は災害も多かったですよね。また、例えば動物保護に関わっている人で、純血種の犬猫ちゃんを迎えると「他の人はミックスちゃんを迎えているのに自分はなんて意識が低いんだ」、と自分自身を責める人もいるくらいで、実に収集がつかないほど「自分勝手な私」に罪悪感を感じている人が多い、という事実があるんじゃないでしょうか。動物保護云々の話は、実際にそうやって罪悪感を感じている人に遭遇したことがあるのでお伝えしています。私はその人のことを利己的だと思いませんけれど。

 

ことの中身はなんであれ、「私は冷たくて利己的な女」という言葉に自分のハートが反応するようなら、そして大丈夫なようならそれを感じてみるのもひとつの手です。

 

誤解を恐れずに言うのなら、「利他、利他」と口にする人ほど利己的な自分を受け容れていない場合が多い、という事実。

 

そもそも「利他」も「利己」も同価値です、どちらもあって当然、表裏一体のエネルギーですから。「利他」がよくて「利己」はいけないと判断しながらの行為こそ「利己」につながる場合も多いのではないでしょうか。

  

とにもかくにも、こんなにも「利己的な自分」をいけないものとして抑圧している人が多いなんて正直ビックリ。

 

私は感じています、ずうっと、感じつくすまで。

 

私たち日本人は「自分」「個」というものがなかなか確立しにくいという民族性があって、エネルギーが勝手に他の人とつながってしまいます。たとえ「利己的」と感じる行為でも、結果的に「利他的」につながっていることだって少なくありません。

 

他の人に良い人だと思われたいから「利他的」にふるまうのならそれは「利己的」なんです。

 

そう、「利他」も「利己」も関係ない。ちゃんと自分の真ん中とつながりましょう。私たちは決して一人では生きられません、エネルギーが勝手につながっているんですから。

 

あえて「利他」と叫ばなくても誰もあなたを非難したりしませんよ。

 

安心して自分自身とつながりましょう。どこかで「利他」な自分が大活躍してくれていますから大丈夫です。

 

年末のこころの大掃除。

 

私自身、このエネルギーにはビックリだけれど、出てきてくれてよかった、集合意識とつながってよかったと一安心。

 

感じて感じて感じつくす。

 

そうすれば少しくらい自分勝手な自分がいても罪悪感を感じずに、ちゃんと自分に向き合えます。

 

今はそうしたいのね、OK ! と。

 

日本人の抑圧癖は半端ないというけれど本当ですね。日本人だけではないのかもしれませんけど。

 

自分がパンクしてしまわないように自分勝手ちゃんと仲良くしませんか、私自身への戒めを込めて。しっかり向き合えば自分勝手ちゃんもかわいいものですよ。

 

 

 

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※ 追記 当エッセイの前のエッセイはこちらです。自分のドロッドロな闇を徹底的に受け容れる

 

ちょっと調べてみたら「遺伝子は利己的にふるまう」という説もあるようです。そこまでいくとワケがわからなくなってしまいますが、あえて言うのなら、利己的な部分がない人は一人もいない、ということ。逆にいうと利他的な部分がない人も一人もいないということではないでしょうか。

 

なんでもうまい塩梅におさまるようになっているから大丈夫。

 

 

 

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