光と闇。私たちはたいてい「光が素敵で闇はみないようにした方がいい」と判断しています。
光の、闇にあたる部分を徹底的に統合しよう、という理論を提唱しているのが深層心理学の創始者であるユングです。ユングの場合、「闇」を「影 = シャドゥ」としていますけど。また、もしかしたらユングは「統合」という表現はしていないかもしれません。
いずれにしても私が自分の「闇」に向き合おうと決めてから5年が経ちました。最初の頃はなかなか受けいれがたく、また何回も同じような「闇」が出てくるので、これでいいのかな、と不安になることも多かったのですが、最近は何かの拍子にあちらの方から、「これ、感じた方がいいよ」というサインが届くようになりました。
きょう出てきたのは「傲慢で支配的な自分を受け容れろ」というメッセージ。自分ではそんなこと感じたことないのに、と思うのですが、基本私たちの中には「ない」意識というものはなくて、例えば「傲慢」という意識、感情がない人はいないというのが現実だ、ということもわかりました。
これこそ心理学の特徴です。だからはじめはエゴが抵抗します。「そんなの、あるわけないじゃない」と。でも「ある」。だからそれを感じ切るんです。
感じているうちに、「傲慢で支配的」というものには「プライドが高くて」という要素もある、ということに気づきました。それも感じる。するとさらに「コンプレックスが半端なくて」という要素もある、と出てくる。それも感じる。これが潜在意識の力。私たちが自分では感じることのできないところの意識です。
かなりのエネルギーでした、感じ切るのに時間がかかりました。
感じ切るとどうなるか。「自己統合」がすむので、こころがフラットになり気持ちよくなります。今後「傲慢で支配的」な自分が活躍しようとしても、一旦自己統合しているのでそれほど暴走はしなくなります。また、自分自身で認識しているので、「あ、傲慢で支配的な私、登場」と少し距離を置いてみることができます。そこで強引に「あなたはいいから休んでいて」ということもできるんですが、私の場合は出てきたものは感じる、任せるという方法をとっています。必要だから出てきてくれているのかもしれませんから。すると自然に「ゴーマンちゃん」も「支配欲ちゃん」もおさまっていく。
「ダメダメ、出てきちゃダメだよ」とはしないのです。それは抑圧につながるから。まさしく支配的な自分をあらわしてしまいますものね。
さて、なぜこんなお話をするのか、というと、まじめな人ほど「闇はいけないもの」として自分の闇を感じないように、見ないようにしていることが多いからです。いわゆる「良い子」。私自身もそうであるように。
「良い子」は突然爆発をすることがあります。ちょっとしたことで切れたり、あるいは自分の身体を攻撃して重篤な病気になったり。
この仕組みは、海外ではたくさんの書物が証明してくれている内容です。なぜか日本では少ない情報ですけれど。
なぜなら日本人には「抑圧」を美徳とする国民性があるから、ではないでしょうか。
「いつもニコニコ、笑顔でね」と。
ありえません、私たちの感情はものすごく多様で、一般に言われるポジティブばかり、なんてことはないんです。そう、「光」だけ、ということはありえません。「光と闇」「光と影」、表裏一体。光があれば必ず闇や影がある。だから「統合」が必要なんです。
「闇」や「影」は自分ではみたくない自分の裏の顔。だからこそ大切に感じてあげる。今まで闇に葬ってきた自分自身の裏の顔だから。
自分の闇に向き合うとわかります、自分はこんなにもイヤな奴だったんだ、ということに。さらに気づきます、でもこれって私だけではないよね、と。一見素敵なあの人だってものすごいドロドロを隠しもってる。一見人格者なあの人だって、もっとものすごいドロドロをもってる。
それがスタートです。綺麗な光だけの人は存在しません、だから私たち自身に闇や影があっても全然恥ずかしいことではないし、驚くことでもありません。むしろそれがあたりまえ。あたりまえを抑圧し続ける必要はどこにもありませんよね。
おそらく私たちは自分のドロッドロとは一生向き合っていかなければならないはず。気づいた時点で「統合」をしていった方が後が楽です。
五年前、何も知らなかった私より、今の私の方が気持ちが楽。ドロッドロを感じるのは気持ち悪い。でも時が来れば過ぎます。それに感じ切った後の爽快感は半端ない。
逃げないで、ただ感じる、それだけ。それだけなのになぜか逃げてしまいがちですけど、でも安心してください。必ず慣れます、少しずつコツがつかめるようになります。
この方法が合う、合わない、はもちろんありますが、私のようにしっくりくる場合には人生が変わるくらいの大きなヒーリング方法になる可能性大です。こうやって私たちはちゃんと自分自身で自分を癒せるようになっているようです。
「いつもニコニコ」なんて絶対無理。無理は自分自身を攻撃します。「闇」や「影」、ちゃんと感じて自分で自分を守ってあげましょう。「闇」や「影」を感じると波動が重くなるのでは、と捉える人もいるかもしれませんが、まったく逆。重いものを感じ切った時点でものすごく波動が軽くなるんです。一説によると「愛の祈り」をする場合と、自分の「闇」「影」を感じ切る場合と、波動の上がり方は断然後者の方が大きいんだとか。それだけ大きな「癒し」が起きる、ということなんでしょうね。
波動云々は抜きにしても、「闇」「影」は感じてあげた方が喜びます。なぜなら、それらも大切な私たち自身だから。
※ 追記 当エッセイの前のエッセイはこちらです。仏教と心理学の相互交流によるスピリチュアルな心理学
本日「26日」はあちら在住愛猫・海・かいとこちら在住愛猫・海・うみの月誕生日。毎月、この日にはさまざまな催しものがあったりするのですが、きょうもまたまた大きなプレゼントを届けてもらっちゃいました。
実はきのうはもっとものすごいドロッドロ感情を統合させてもらっていました。年末のこころの大掃除、半端ないあちらからの「愛」を感じています。