犬猫ちゃんやペット君はなぜ私たちのもとを訪れてくれているのでしょうか。
それは私たちが幸せであることを想い出させてくれるため。
彼らは私たちの幸せがこころからの願いなのです。
幸せになってもらうため、ではなく、幸せであることを想い出してもらうため。
そのためなら彼らは時に病気にだってなる。
問題行動だって起こす。
時に突然旅立ったりもする、愛猫・海・かいのように。
それらはすべて私たち人間が幸せな存在である、という事実を想い出させるため。私たち自身に。
彼らとの関係はパートナーであり、友人であり。時には彼らが母になったり、師になったりもするけれど、彼らは私たちと対等の関係を望んでいます。望んでいる、というより、彼らはそもそも対等なのです、私たちと。「対等でなくちゃね」などと思う必要もなく。ただ在る姿が対等。
私たち人間の世界では「権威主義」という価値観が息づいています。力あるもの、勝者たるもの、権威あるもの、が上位であるという、絶対と言えるほどの価値観です。この価値観の中にいる人間は権威あるものの意見には「無批判」に従い、少数派は「弱者」としていたぶるという、そんな世界観をもっています。これは人間なら誰しもに備わった感覚、概念です。
犬猫ちゃん、ペット君と暮らす私たちは、まずその現実を受け容れ、時に自分が権威側に立とうとしていないかを見極め、権威主義を嫌いすぎず、それでも対等の関係を模索するようにさまざまなチャンスをもらっているのかもしれません。自分自身の幸せを想い出すために。
そのパートナーとして私たちのこころに寄り添ってくれている犬猫ちゃん、ペット君の目線を忘れないようにしたいものですね。
彼らはたとえ私たちが彼らの上に立とうとしても抵抗しません。すべてを受け容れてくれる。だからこそ、自分自身のこころの「フラット」を見つけられるように、私たち自身が自分に向き合う時間が必要なのではないでしょうか。
彼らは友ですが人間ではありません。私たちのこころに寄り添ってくれる大切な家族ですが人間のミニチュアではありません。
彼らの命を尊重すること。ただ「在る」命を。私自身への戒めとして。
親愛なる友へ。
※ 追記 当エッセイの前のエッセイはこちらです。天女の舞い