「引き寄せの法則」という言葉をご存じですか。
「目の前の現実はすべて自分が創りだしている」
「願えば叶う。なぜならそうなっているから」
バクっと言ってしまうとこういう考え方、というか宇宙の基本原則と呼ばれている仕組みのことを言います。
この手の本を私、ゴースト・ライター時代に書いていたのですよ、それに気づいたのがついこの間のこと。
私はゴースト・ライター時代に自己啓発の本を何冊か書いていました。当時スピリチュアルとか自己啓発にまったく興味がなかったのでそれが「引き寄せの法則」だとは知らずに書いていました。
それなりに売れたみたいですよ。著者の方のネーム・バリューのお蔭でしょうけど。
もう時効でしょうから、いいかな。
著者の方は「ベストセラー」と言われる先生でした。が、私にはあまりピンとこないタイプの先生でもありました。それでもご縁があったということは、何かの必然があったということ。自分なりにそれを考えてみると。
その先生の理論はなるほど、と思う素晴らしいものでしたが、どこか「無理」が感じられました。私には、という意味です。
ここ二か月くらい、たまたま、というかまさしく私が引き寄せたんでしょうけど、購入した本がかなり「引き寄せ系」のものに偏っていたんです。
それらを読んでいて、一つ大きなことに気づきました。
「一般的な引き寄せ理論って西洋理論では ? 」
西洋理論がいけないという意味ではなく、ただ東洋理論ではないな、と。私が読んだ本は脳科学系の本でした。とにかく波動を上げるとか、物事の良い面だけを見なさい、とか。
そして私が書いていた本も脳科学系の理論によるものだったのです。
何も知らないで書いていた、というのがある意味すごいですよね、良い意味でも悪い意味でも。そう、私にはそういう才能があったんです。数冊の本を渡される。それを読んでまるで「持論」であるかのようにゴーストになりきれる、という才能。
それって逆に言うと、脳が全開の状態。ハートはどこにいたんでしょうね。
もちろんハートは抵抗しているんです、「なんか違うな、しっくりこないな」。
と考えると、私は少なくとも西洋思想系の人間ではないし、同時に脳科学系の人間ではないな、ということです。西洋思想の部分がゼロとか脳科学理論の部分がゼロ、という意味ではなく、私は東洋思想、ハート理論の方が得意な人間なんだな、ということです。
すべてはバランスなのでどちらかだけ、というのは偏りが出ます。どっちもあってどっちもほどほどで、その調和の状態を目指す、というのが私の人生の課題だったんだ、と。
あの先生の本を書かせてもらったということは、あの先生の理論の部分も自分の中にあるという事実を自分の中に統合しなさい、という意味があったようですね。
当エッセイを執筆する前に、心理学系引き寄せの本、ハート系引き寄せの本を読みました。YouTubeで陰陽理論を踏まえた引き寄せの法則の話を観ました。
真ん中に戻りました。
いろいろなタイプがあって当然。脳科学系、西洋思想系の考え方でうまくいく人はそれでいいのですが、私のようにどっぷり「東洋系」はやっぱり陰と陽、表と裏、光と影のいずれもをみていく方が自分自身が落ち着くことに気づきました。
ゴースト・ライターをやったお蔭で、自分の知らない側面に触れることができたし、実際執筆の勉強にはなったので、あれはあれで素晴らしい経験だったんだな、とあらためて過去を振り返ることができました。
私は潜在意識の中でゴースト・ライターというポジショニングによる「著者」さんへのコンプレックスがあったようなので、それもきちんと感じて自己統合しました。解放です、私の「偏見」が一つ解放されていきました。実際、ゴースト・ライターがいなければ世に出ていない本がたくさんあります。「ゴースト」という単語のイメージがよくないだけで、実は素晴らしい作家である、というのが今の私の落ち着きどころです。
さて、さまざまな人の「引き寄せ理論」を集中的に勉強させてもらった結果、私独自の「引き寄せメソッド」ができあがりました。
ちなみに以前読んだ本では「引き寄せの法則」って「波長の法則」のことだ、と書いてあったような気がしますけど、確かな記憶ではありません。
私の場合、人生のテーマの中で「型破り」とか「独自性」というものがあるんです。その反面、「保守的」で「類似性」とか「模倣性」の現実が隠されている。
なるほど、「オリジナリティ」と「模倣性」の陰陽理論かもしれません、私がなぜゴースト・ライターをやったのか。実はゴースト・ライターはなりたくてなったわけではなく、たまたま紹介された仕事がゴースト・ライターでそれを何年も続けていました。
自分がないのに「オリジナリティ」を強く求めすぎていたから「模倣性」を引き寄せてしまったようです。
納得。ということは私の中の「模倣性」にひかりがあたったので、「オリジナリティ」に転じる機会をもらったということになりますね。
そっか、あの先生とのご縁は、私の真の「オリジナリティ」を輝かせるための布石だった、と いうことなのではないでしょうか。
すぅっとした。でも中には「めんどうくさい思考だな」と感じる人もいるかもしれません。そ、私たち人間はそもそもがめんどうくさくできているんです。それが人間的深みにつながることだってあるわけで。
※ 追記 当エッセイの前のエッセイはこちらです。動物君のヒーリングの仕組みがわかった
いつも明るい人、いつも笑っている人、いつも朗らかな人、いつもテンションの高い人、いつも穏やかな人、いつも優しい人。
その裏側の自分も抱きしめてあげるともっと楽になるのに。
過去の私へのラブ・レター。
私の父は晩年、躁うつ病をわずわっていました。すでに他界していますが、当時の主治医によると「鬱病は必ず躁病も出ます。どちらか一方ということはありません」とのお話でした。父の場合は鬱が先でその後躁に転じ、また鬱に戻るというバイオリズム。元々がきまじめな性格だったので、鬱の時は本当に大変そうでした。一方、躁の時は幸せそうだったな。