あなたは今の自分が好きですか。自信がありますか。
たいていの人は、「いいえ」と答えるのではないでしょうか。
それってどういうことなんだろう ? と自分に聞いてみました。
今の自分は誰が創ったのでしょう、誰の意思によって創られたのでしょう ?
自分に対して「好き」と言えないということは、そのクリエイターに対して「No」を出しているということ。
クリエイターは誰なんでしょうね。
私たち日本人には「謙譲の美徳」という概念があって、自信満々は恥ずかしい、謙虚な方が麗しい、という「思い込み」がなされていませんか、無意識のうちに。
自信家というとあまり良いイメージがわいてきません。
これを動物君で考えてみました。
動物君は自分を好きか。「Yes !」
動物君は自信があるか。「Yes !」
ゆるぎなく彼らは自分自身であるのです。だから彼らは「愛」なのです、存在自体が「愛」。
自信って自分に信頼を寄せるという意味ですね。自分の真ん中に信頼を寄せる。どうしてそれがいけないコトなんでしょうか ?
自分の真ん中とは自分自身のこと。同時に自分を創り上げてくれているもう一つの何かのこと。それらに信頼を寄せること。それを「自信」というのではないでしょうか。
「私はあまり自分のことが好きではないし、自信もありません」
一見、謙虚チック。実はものすごい傲慢なんじゃないでしょうか、「今の私は私の望む私じゃないのよ」と他者に「今の自分の在り方」の責任をおしつけているような。私自身で考えてみるとそんな感じがするのです。
今の私を創り上げたのは、大いなる存在と私自身。
だったらその自分は好きであって当然だし、自信があってあたりまえ。
実は私は謙虚チックな自分をイメージづけようとしているだけかもしれないな~、と。
私たちは自分自身のクリエイターです。私たちの意識が今の自分を形作っています。
その基本原則を想い出すと、「なんだかんだ言ってがんばってる私が好き」という気持ちになるし、「私は私を信じてるの、だって私自身のイメージが創り出した創造物だもの。大事な大事な作品だもの。自信作だもの」という気持ちがわいてきます。
自信のないあなた。
自分を信じることの許可を出しませんか、自分自身に。
自分の生きる権利に許可を出すのです、承認するのです。
「あなたはあなたのままでいいんだから、しっかり生きようね。自分の人生の権利を行使しようね」と。
そうすると自分自身との距離が縮まります。本来の自分に近づけます。
「あぁ、本当は私はこんなにも素敵だったんだ」と気づくはずです。
※ 追記 当エッセイの前のエッセイはこちらです。 すごい解放・開放感&爽快感!
私の部屋には遠赤外線パネル・ヒーターがあります。愛犬・華実はこれが大好きで頭をくっつけるくらいの至近距離。おいおい、大丈夫 ? というくらいの距離感です。
いつもは華実だけなのにその横に40センチくらい離れて愛猫・海・うみがまるまっています。
つかず離れず、ちょうどいい距離感。
かわいいんですよ、そのツー・ショットがたまらなく。
彼らは「かわいい」と思われたくてそうしているのではありません、存在そのものが「かわいい」のです。彼らはただあるだけで「かわいい」。
もしかして私たち人間もそうなのではないでしょうか。
みんな、そもそもが「かわいい」存在。「愛らしい」存在。それを忘れてしまっただけ。
もっともっと自信をもっていいんじゃないでしょうか。あなたも私も。
私は今から自分の嫌いなところを洗い出してみます。
「なんで嫌いなんだろう ? ここに私が気づいていない何の価値が隠されているんだろう ?」
自分の中の宝探しです。きっと楽しいはずだから。