おもしろい。
いま、コンラート・ローレンツの本を読み始めたのですが、彼によると犬のルーツはオオカミ系とジャッカル系の二系統があって、ルーツによって性格が大きく変わるというのです。
オオカミ系の特徴をよくあらわしているのは「柴犬」、ジャッカル系の特徴をよくあらわしているのは「ダックス」。そうみると、愛犬・華実はキャバリアですから、まちがいなくジャッカル系なんでしょう。
ジャッカル系はオオカミ系に比べると「幼く」て、誰にでも親愛の情を示すんだとか。さらにジャッカル系は「腐食」をする生き物。死体などを食べていたのでもちろん肉食なんですけどオオカミ系に比べると雑食傾向が強いんですって。
オオカミ系は主人に忠実。1対1の関係を好む。食はと言えば一般に肉食と言われていますよね。
なるほど~、と感じたのは
〇 華実は誰とでも仲良しになれる、種をこえて。もちろん人は誰でも大好き
〇 華実は何でも食べる。少しくらい古い食べ物でも。さらに「食糞」「ひろい食い」「異物食い」の癖がある
〇 華実は14歳になっても若犬ちゃんとまちがわれる。見た目が若いのもあるけれど動きが幼い
これらすべてジャッカル系の特徴みたいなんですよね。まだ読み始めたばかりなので全容はつかんでないんですけど、私はそんな風に感じました。もちろんそこに「個性」というものが大きく関与している事実はあるとして。
このことを知っていたら、例えば「食糞」「ひろい食い」「異物食い」、最近はずいぶんと減ったけど、小さい頃結構必死にやめさせようとした時期があって、あぁ、不毛なことした、華実に申し訳ないことしたな、と。まぁ、華実のことですから私に「申し訳ない」なんて思ってもらいたいとは思ってないでしょうから、私もここだけの気持ちとしておきますけど。
それと「誰とでも仲良くなれる」「誰にでもなつく」。これは私にとってはものすごく大切なポイント。私は華実がちっちゃい時から「もし私が病気で倒れたり、最悪いなくなったとしても誰のところでも生きていけるように、ある程度自立心のあるコに育ってほしい」と思っていたんです、つまり私だけにベタベタ、というのではなく。
もしオオカミ系ルーツの犬種を迎えていたら、それ自体難しかったかもしれないということですよね。
そういえば、華実はペットシッターさん、トリマーさん、獣医さん、すべて「OK」のコなんです。だから安心して旅行に行けるし、シャンプーもお任せできるし、病院も全然平気。とても「楽ちん」なんです。
私にはジャッカル系のコじゃないと無理だった、生活が破綻してしまったかもオオカミ系ルーツのコだったら。これはどちらが良い、悪いではなく、私にはジャッカル系が合っていた、ちゃんとそういうコとのご縁がつながった、というあちらの采配の「妙」への感謝、です。
元々私は「柴ちゃん」が大好きでマメシバのお迎えを考えたこともあったんです。保護犬ちゃんとお見合いさせてもらったこともあるし。それでもなかなかご縁がつながらず。
結果、華実と出逢えて華実が来てくれて、本当に良かった、ありがたいな~と。
私たちの元には私たちにピッタリのコが送り込まれている。そんな可能性はないですか ? いえ、実は彼らが私たちを選んでいるんですけど。いえ、正しくはお互いに「ビーム」を感じあってのことなんですけど。
※ 追記
犬のルーツは二つある !? たったこれだけの「視点」なのに世界観がまったく変わります。なるほど、と感じると自己肯定が進みます。
書籍ってそういう魅力があるんですよね。いまはネットで何でもわかる時代と言われているけれど、その人でなければ感じられないコト、一冊の本にぎゅぅっと凝縮されて。だからその人の魂に触れることができる。ハートにダイレクトに響く。コピペだらけの情報とは一味も二味も違う。
黒猫ちゃんの「ひかり」の導き でお話したように「書くことは生きること」と捉えている人もいる。
「書く」ことの意義、再確認。これも自己肯定、です。
参考 『人 イヌにあう』 コンラート・ローレンツ著