ホリスティック・ケアの看板を外しました。資格がないので正しくは看板は外せません。もしかしたらよろい ?ホリスティック・ケアに精通している私、という仮面でしょうか ?
この二つのエッセイでお話したように、私は自分自身の「大きな健康不安」の補填としてホリスティック・ケアの勉強をし、実際に生活に取り入れています。お蔭さまで小さい頃から身体が丈夫ではなかった私がここ数年来病院のお世話にならずにすんでいます。家族ともども。
がどうやら私の「健康不安」は妄想、幻想からきているもののようなので、一旦それを手放そうと決めました。そもそもホリスティック・ケアという言葉を使っていれば「治療家」のイメージですよね。
私はヒーリングができますし、カウンセリングもさせてもらいますから大きな意味では治療家と言えるかもしれません。が、実はヒーリングもカウンセリングも治療とはちょっと違うのです。つまり、医師、獣医師とは明らかにスタンスが異なるということです。
以前私は宗教家でもないのに、宗教家チックな自分の感覚が嫌で仕方なかったことがあります。一生活人なのに、何かにつけて「宗教的フィルター」で物事を見ていることに気づき、なにか違う、と。
それと同様の感覚が浮かんできました。私はホリスティックなライフ・スタイル、命丸ごと、という人生哲学をもっていますが、決して治療家ではありません。私は作家です、クリエイターです、表現者です、文化を創造する人間です。その私があたかもホリスティック・ケアの治療家のような視点で物事を見ることは私の人生の目的とはちょっとずれているのではないか。
さて、ここでポイントになるのは、私は一生活人であり、一クリエイターである、ということです。ヒーリングやカウンセリングは、私の生活を豊かに彩るための一つの道具ではあっても人生の主目的ではありません。もちろんホリスティック・ケアを否定し排除するという意味ではありません。
治療家チックだった思考のフィルターを取り換え、本来の自分のフィルターに交換する、ということです。
ホリスティック・ケア歴15年目にして、この真実がみえてきました。よかった。ホリスティック・ケアが私を解放してくれました。私の意識の執着を解き放ってくれたのです。
ふぅ。また身体が一つ軽くなりました、心も軽くなりました。
これが私のホリスティック生活の成果です。このライフ・スタイルから私の作品が生まれるのです。私の人生が紡がれるのです。
※ 追記
私の中に新しい道ができ始めました。
きょう届いた本、『人イヌにあう』コンラート・ローレンツ著。少し読んだだけですが、ゾクゾクするほどのエネルギーを感じました。共感度合いが半端ない、というサインです。著者は動物行動学のパイオニアなんだとか。
まったく知りませんでした、勉強不足。でもその「不足」のお蔭で今、この本との感激的な出逢いを味わうことができました。
私は動物との共感能力が半端ない人間です。彼らのベースは健康不安でも病気でもありません。
彼らは命丸ごと全受容の存在です、無条件の愛、無償の愛の存在。
私が伝えるべきは「そこ」。
犬猫ちゃんとの新・共同体の創造。さぁて、いよいよ本番ですね。