やっと外に出られました、愛犬・華実ともお散歩に行けました。
ランチ。中華屋さんで中華がゆをいただきます。お腹の芯から温まるのでこれがいいだろうと。外に出た瞬間、「空気が綺麗、氣が変わっている」ことにびっくりしました。しかも紅葉が綺麗。太陽のひざしもそうだけど植物たちもキラキラしているではありませんか。
多少お腹に不安がありましたが、中華がゆの後小さいアンパンを食べました、今のところ出ていません、お腹、治癒に向かってくれたようです。
ランチの後にお花を買ってガーデニングをします。これは完全リハビリ。お花はいつも選ばないような黄色やオレンジを選びました、元気を補充してくれる色です。素手で土に触れて、「やっぱり自然が一番のお薬だ」と。
その後、華実とのお散歩。かなりのショート・コースですが空を見上げながら、最高の気分。
華実は昨日一日うんこをしていません。普段は一日5~6回するコです。
「なるほどね」
華実はうんこを我慢して、私を外に誘い出すことを考えたのです。私が大地を踏みしめることの大切さを何よりも知っているから。
思惑通りでしょうか、家を出てすぐに三回もうんこをする華実。これがわんこの愛なのです。人間は愛を特別なものと思いすぎて、上手に愛と向き合えないことが多いのに、わんこはさらっとやってのける。私が気づかなければそれでおしまい。それだっていいんです、華実にとっては見返りは必要ないものだから。
華実はわんこの中ではたぶんIQは低い方、確かキャバリアちゃんはあまりIQが高くないはず。でも華実にはとてつもないハート力というものが備わっていて、わが家においては華実のハート力は完璧すぎるほど完璧なのです。華実の愛はピュアなんです、どこまでも。
だから、時に私は気づいてあげられない、華実がわがままを言ってるんじゃないか、華実がすねているんじゃないか、と以前はそう感じることも少なくありませんでした。
やっと最近、華実の行動の真ん中は全部「愛」だと気づいたのは。愛犬、元気に健やかにまったぁりと満14歳 ! 4 でお話したように、華実が14歳になってやっと私のハートが華実のハートの周波数に近づけたからなのかもしれないですよね。
お花を買いに行ったとき、犬友さん、と言ってもそれほど親しい人ではありませんがお逢いして、お互いにわんこの近況報告。その方の愛犬ちゃんはヨーキーちゃん、18歳だそうです。目も見えないし、耳も聞こえなくなって、後ろ脚も弱くなっているけれど、ご病気はないみたい。「あと、2~3年、一緒にいてくれるといいな、とは思うんだけど」
「こればっかりはわからないですよね」とお互いに。
私も華実のことはわからない、というのが正直な気持ちです。何一つ病気がないからといって、ずっと長生きしてくれるかなんてわからない。ただ一つ言えるのは、華実には毎瞬毎瞬楽しく生きてほしいということだけ。
以前何人もの犬友さんが「20歳を目指しましょう」と言ってくれたけれど、私はその考え方にはピンときませんでした。人間もそうだけれど、犬猫ちゃんだって、「ご長寿」で旅立つことが大事なのではなくて、いえ、それももちろん大切だけれど、私としては彼らがいてくれるうちに人間としての私たちがいかに彼らの教えに気づき、いかに彼らと平和で豊かな時間を過ごせるかが大事なのではないかと感じているからです。長さではなく、その質と密度、というか。その辺の解釈は人生の課題の違いがあるのかもしれませんね。
私は愛猫・海・かいが他の猫さんよりはるかに短命で旅立った理由が今頃になってわかってきました。その想いをちゃんと他のママさんたちにも伝えたい。ものすご~い「愛」だからです。だからと言って、ご近所の犬友さんに逢うたびにそんな話をするわけではないですけど。
完全復活まではまだ到達できていませんが、気持ちだけは上がっています、縦社会から横社会へでお話したように、デトックスに伴い負の感情が山ほど出ていってくれたから。表現を変えると、厄落としができちゃったのかな、という感じでもあるくらい。自分にとって大切な人やペット君が病気になると私たちはとても不安になりますが、もしかしたらその相手の「体内」ではこんなありがたい作用が起きていることもあるのかもしれません。
病気=いけないもの、怖いもの、と思いすぎる必要はないのかもしれませんよね。
それでも不安や心配は出てしまうけれど、その時にはその気持ちをしっかり感じて、まず自分の真ん中に戻ることが大切です。無理やり「大丈夫」モードに持っていかない。すると自然に「大丈夫」になっていきます。
自然に、自然に。私たちは大きな仕組みの一つとして存在しています、一見「良くない」と思えることもその仕組みにとっては「すべてがより良くなるように」との計らいのもとでなされているもののようですから。