たった今浮かんできました。
私たちの「時間」、これも同等ですね。
例えば労働をして対価が発生する時間。労働をしても対価が発生しない時間。
生産性のある活動をしている時間、ムダに過ごしているかのように思える時間。
起きている時間、寝ている時間。
社会的貢献度の高い活動をしている時間、ものすごく個人的な活動をしている時間。
などなど。
みんな価値は一緒、同等、イーブンです。
それらに何らかの価値をくっつけて、これをしている時間は尊くて、これをしている時間はムダな時間と決めて、それらの枠にはまって生きているのが私たち。
例えば「ぼぉっ~」とする時間はその人にとって必要な時間なのだから、それは貴重な時間だ、と思う癖がついていない。
「怠けていないでちゃんと〇〇しなさい」
怠ける、という行為がその時必要だから怠けているのではないでしょうか。心身を休めてバランスを取るために。怠けたい時に怠ける、という体験を選んできた魂なのではないでしょうか。いっぱい怠けた後に、ものすごい力を発揮するための準備をしているだけではないのでしょうか。
日本人は特に「ワーカー・ホリック」気質が強いので、とにかく仕事第一、みたいな価値観が身についている。その陰で泣いている家族や何より自分自身がいるのに気づかなくて、場合によっては過労死なんて事実もあったりして。
「怠けること」
「休むこと」
「くつろぐこと」
「何もしない時間を楽しむこと」
なかなかそれができない、馬車馬のように働く一生が身についてしまっている場合もあります。金銭が発生する労働を第一に考えてきた人たちは仕事を失った時に、自分の価値まで「無価値」になったと思ってしまうのです。またそういう他者に対して「怠けもの」と言ってラベリングをするのです、「仕事のある自分の方が上」と。潜在意識では自分だって仕事をやめて怠ける時間が欲しいのに、それらの気持ちを抑圧する。その抑圧した気持ちを他者に投影してしまう。
おわかりになると思いますけど、ここでの「怠ける」は私は「いけないこと」として捉えていません、ただ「怠ける」という事象が存在する、と思っているだけ。「怠ける」ことに対して「良い」も「悪い」もありません。
なまけたっていい、何もしない時間があったっていい、ぼぉっとしていたっていい。むしろ自分自身にそういう時間をプレゼントできるのか、罪悪感なしに。そのことを試してみようかな、という気になりました。
罪悪感なし、がポイント。私たちは身体の奥の方にしみ込んでいる「ものすごい縛り」がある生き物だから。それを一つ一つ解放していく、自分自身の力で。
それができた時、人生は大きく変わりますね。それが「自律」の世界。自分で人生のルールを変えるられるのです、よりシンプルに、フラットな方向に。
こうしなければいけない、があまりにも多すぎる。中には必要なものもあるかもしれないけれど、何か違和感があるな、と感じたら、自分のルールくらい変えてもかまわないはず。人に強要することはできないけれど。
私たちの意識が変わると、集合意識が変わります、すると私たちの生きる世界も変わります。生きにくい、住みにくいと感じるルールなら、自分の意識で変えていけばいい。まずは自分自身の中で。それに共感・共鳴・共振してくれるハートがあると信じて。
さっそく試してみま~す。
※ 追記
波動が変わりましたよ、個人的に私の中で。同時に社会の波動も変わっているみたいです。
きょう、直接の知り合いではない人のブログとたまたま目にしたメール・マガジンに私と同じような感覚の言葉を並べている人を発見しました。まったく同じタイミングで同じような意識を持っている。それが複数。何もやり取りをしていないのに、です。
今までも近い感覚の情報を発信している人は何人かいましたが、きょう、今朝、というタイミングで情報が発信されていたことにびっくり。
これがシンクロニシティです、私たちの上の意識はつながっていて、実は下の意識もつながっていて。そのつながりが明確に形になってあらわれはじめているのです。
それらに共通しているのは「これから権力攻勢ではなく融合、融和、協調の世界が始まる」「過去の記憶はすでに役に立たなくなりはじめている」というものです。前々エッセイパソコンは復旧しましたが大大デトックス中ですと、前エッセイ夢に出てきたヘビからのメッセージは ?で私は
〇女性性と男性性の統合によって社会がフラットになる
〇大きな変容が起きる
とお話してきましたね。すでに社会は変わりつつある、ということ。この感覚を感じている人が複数いるということです。
もちろん過去の価値観が消えることはありません。
あとは自分が何を選ぶか、です。何を選んでもいいんです、どちらが「良い」わけでも「悪い」わけでもないんですから。私は過去のありがたみを踏まえながら、新しい流れを選びます。