ハートから何かのしこりが溶け出しました。この感覚わかります ?
ハートにものすごい塊のようなものがあってそれがすぅっと外に流れ出した感覚です。
そのしこりとは ?
「私ははみ出しもの」「私は嫌われ者」「私だけ置いてきぼりにされた」、そんな感情を抱えて真っ暗な部屋の中で膝を抱えている幼い私から流れ出しました。心理学やスピリチュアル的な表現をすると「インナー・チャイルド」という存在かと。そういう表現に興味がない場合は、とにかくネガティブで重い意識エネルギーが私のハートの中にこりかたまっていたと言えば伝わりやすいでしょうか ?
ただし、これ、私の、だけでなくみなさんの集合意識ともリンクしていたみたいで、ものすご~くドヨンとしていました。それとネガティブ=悪いもの、ではないこともお知らせしておきますね。
その場所、イメージ的に浮かんできた、そこはとにかく真っ暗闇の世界。人影も感じることはできないほど。
闇って光がない状態ではないんです、光が薄い、あるいは光が認識できないくらいにしか存在しない、そういうものを闇と言います。闇はいけないものと言われていますが、闇に光を当てればそこはもう闇ではなくなるんです。真っ暗闇のお部屋の中に懐中電灯を向けたら、真っ暗闇ではなくなりますね。それと同じような感覚です。
時々「光と闇の対決」という表現を目にしますが、光も闇も同じなのに、と私は感じています。さまざまな説があるので、「私は」のお話。そう、私は自分の中で闇の光化をずっと意識的に行ってきたので、闇が怖いものでもいけないものでもないことを知っています。ただあまり気持ちよくないことは確かです。また闇がたくさんあるということは光化へののびしろがたくさんある、ということも。
真っ暗闇の空間の中で膝を抱えて「さみしいよ~」と一人悲しんで苦しんでいる幼かった私に光を当てたら、「もう、平気だよ」とすぐにその状態から立ち直ってくれました。その時にものすごい勢いで何かがハートから流れ出した感覚を味わいました。
すべて感覚なので、何かが目に視えたよ、というお話ではありません。妄想か、と言われると、それもちょっと番う、感覚的に私はそう感じた、ということなので。
ハートにこんなにもかたいしこりがいたことにびっくり。ハートとは心臓ともちょっと違うエネルギー・ゾーンのようなもの。ヒンドゥー哲学のヨーガではこれをチャクラと言ったりします。チャクラの話をすると長くなるのできょうはしません、興味があったらご自身で調べてもらうのが良いかもしれませんね。
さて、上記でお話している感情は誰の中にもあるものです、私特有のものではありません。まずそのことを理解して受け容れることができるか、受け容れることができたら、あなた自身でその感情を感じてもらうのもあり、です。受け容れることはできません、という場合は、スルーしてください。もしかしたらまた後で必要になる情報かもしれません。あえて私に反感のエネルギーを飛ばさなくても、必要な時に必要な感覚が浮かんできますから安心してください。
私自身、ここまで暗くてここまで重い意識が浮かんできたのは、かなり久しぶりのこと。が感じてしまえば、その分ハートにスペースができますので、ハート全体が軽く感じられ、つまり自分の気持ちがかなり軽くなるのを実感することができました。
私の今の流れは「エネルギーの軽量化」です、今までがまんにがまんを重ね、かなり頑張って生きてきたのですが、波が変わり、さらっと生きていいよ、という応援メッセージ的エネルギーを感じました。力を抜いていいんだよ、ということ。
さらに驚いたのは、猫さんの集合意識らしきものからメッセージが届いたのですよ、これも言葉が聞こえてきたわけではなく、なんとなく意識概念が伝わってきたもの。その内容は ?
「あなたを置いてきぼりになんかしないよ、あなたを一人ぼっちになんかしないよ。はじめっからそうなの、あなたは置いてきぼりになんかされてないし、一人ぼっちになんかもされていなかった。そのことを思い出してもらうために、私たち猫はこの地球に存在しているの」
妄想とか頭のおかしい人と感じるのなら、それでもいいんです。それはあなたの感じ方なので大切にしてください。一方、ハートに良い響きがくる場合は、あなたにもこのメッセージが伝わったということだと思ってもらっていいかもしれません。
私自身は結構感激しています。私のハートはやっと私らしさを取り戻した。隠れていたインナー・チャイルドちゃんがその存在をあらわしてくれたことにもびっくりしています。
私は特に何かのスキルがあるわけではなく、これらのことはすべて自然な流れの中で起きています。〇〇セラピーとかその手のノウハウを専門的に勉強していなくても必要な時にちゃんと起きてくれる。起きてくれたことは「ダメ」と押しやらずただ受け容れる。それだけです。それだけでハートが軽くなります、スペーシャスになります。
こんな時代が来たんですね。ヘビーな体験があったからこそ、ですが、それらの想い出はほとんど手放しました。手放すというのは切り捨てるということではなく、解放する、という意味です。
こんな私の考え方、方法論がしっくりくる場合は、セッションでお逢いしませんか ?
よろしかったらこちらもご覧ください。犬猫ちゃんの胸を借りて生きる
当エッセイの前のエッセイはこちらです。今度は台湾 !?