今、地球のそこかしこで感情の膿み出しが起きています。
地球そのものの膿み出し。そして私たち自身の膿み出し。誰もが何かしらこころに痛みを感じている時かもしれません。
膿ってあまり良いイメージがないけれど、字は素敵ですね、「月」「農」。もしかして「生産」ということに関係しているのかしら、と感じたりして。「生産」に備えた「闇」?
膿み出しだとしっくりこない場合、毒だしはいかがですか、デトックス。
デトックスと聴くと、「あぁ、スッキリするヤツね」と思ったりします。
言葉のもつイメージは大切ですが、あまりこだわらずなんとなく身体の中のゴミを出すと考えたらどうでしょう。環境や食べ物によるゴミ、思考や感情のゴミ。
下痢、発熱、嘔吐、吐き戻し、発汗、咳、クシャミ、鼻水、排泄物。みんなデトックスのあらわれです。
私はきのうの夜、突然ものすごい孤独感が襲ってきました。
「淋しいよ~」
「一人ぼっちだよ~」
「怖いよ~」
「お先真っ暗だよ~」
「愛されたたいよ~」
「つながりたいよ~」
ものすごい勢い。これらの感情って誰にでもあるもの。誰もが抑圧しているもの。私の意識であると同時に集合意識でもあるんだろうな、と感じました。
この感情が浮かんできたキッカケはYouTubeを観ていて。たくさんの人がYouTubeに集まってたくさんのコミュニティーがあって、たくさんのリーダー、ティーチャーがいて。「あぁ、ここに居場所があった」という安ど感の裏に「一人ぼっちにしないで、誰か私とつながって」という欠乏感。どちらも良い、悪い、というものではなく、どちらも同じだけのボリュームがある感情です。どうもこれらの集合エネルギーをキャッチしてしまった様子。
最悪な気分で眠りにつきました。気分としては最悪、孤独感、孤立感、焦燥感、愛への飢餓感が渦巻いていたから。
で、朝目がさめるとサワサワ~とそれらが流れ出し、「あぁ、気持ちい~い」。そう、感情のデトックスが自然に行われていました。
なるほど。これらの感情が誰のものであっても、この地球上に当然のこととして渦巻いている感情たちです。これらの感情は一般的には感じたくない感情なのでたいていの人は「いけないもの」として自分の中に抑圧しています。生きていく限りこれらの感情から逃れることはできません。
定期的に感じてゴミ出しをしておく。この現象、システムこそ大いなる何かからのGiftなんだな、と気づきました。
私の場合、自分の感情に向き合い、内観、自己統合、自己受容を進めてきて、前エッセイ【更新】魂の奪還・帰還
のようなお話をしているわけです、それでもまた一見ネガティブな孤独感、孤立感、焦燥感、飢餓感などが湧いてくる。
このサイクルを覚えておくと、「え~っ、なんで ? まだこんな感情が残っていたの ?」とか「やだ、後進しちゃったのかな」とか「自分はやり方(生き方)をまちがえているんじゃないか」とか落ち込む必要はなくなります、「あ、この波がきたんだ」だけでいい。
私たち人間には自分にとって都合の悪い感情は感じないように抑圧するという本能がありますから、意識的に感じないと、これらの感情を抑圧してしまうことになります。
自分にとっての一見「負」「悪」の感情もちゃんと感じきる。それでもまた出てきた時はまた感じきる。
いいですね~、このサイクルが自然に備わっているのが私たち人間という生き物です。
感情の膿み出し、気持ち悪いけど、定期的に行っていきましょう、どんなに気持ち悪くても死なないから。むしろその後の爽快感は半端ありません。
感情を抑圧する癖のついている人、特に日本人は多いんですけど、そういう人は「安心」とか「愛」という言葉に弱い、私自身もそうですけれど。
「安心」の裏には必ず「不安」が、「愛」の裏には必ず「恐れ」の感情が隠れています。そのどちらも悪くない、同じ価値です。
「安心」「愛」だけにフォーカスしすぎるとバランスが崩れます、「不安」と「恐れ」のエネルギーがダダ漏れになることも。ダダ漏れにならず自分の中でいっぱいいっぱいになると病気になってしまうことも。
「不安」や「恐れ」の感情がわいてきたら、膿み出しのチャンスだ、と思ってしっかり感じちゃった方がいいですよ、その方が自分自身が楽。それが私たちにあたりまえに備わっているシステムです。そのシステムは地球自体にも備わっています。
それが自然治癒力。
自然治癒力のお蔭で膿み出しは誰でも自然にできるようになっている。そのシステムの存在を認識して受け容れる。それだけで私たちは十分健やかに生きられるようになっています。
自然治癒力のエネルギーは愛。愛ってね、ただ気持ち良くて柔らかいだけではないんです、時にとてつもなくいたみを感じさせられることもある。その痛みは時に「エゴ」と呼ばれる感情からきていることも。「エゴ」を洗うために痛みが伴う場合もあります。痛みのお蔭で「エゴ」が洗い流され、真ん中に近づくことも。そのすべてが愛というシステムによって成り立っています。
愛は包括的です。限定されていません、制限されていません。そう感じられないのは私たちが人間だから。肉体をもっているから。痛みを感じるということは肉体をもった私たちの特権でもあるということです。痛みもまた人生の味わいの一つ。それでも痛みは少ない方がいいと思ってしまうのが人間のサガ。
※ 追記
「すべての感情を味方につける」
「現実を生きる」
今、浮かんできました。