きょうは愛犬・華実のお誕生日。ということで、今、近くのホテルでランチをいただいてきました。
わが家では華実や海・うみのお誕生日に特別に何かをしたり、何かを食べてもらったりはしません。
華実や海・うみは動物です、大切な家族ですけれど人間ではありません。彼らの頭の中に「お誕生日を祝う」という概念はありません。なぜなら、お誕生日以外のすべての日もお誕生日と同じくらい大切だと感じているからです。いえ、さらに言うのなら毎瞬毎瞬を生きているコたちなので、何が大切とか何が大切ではないという識別もあえてしません。
彼らはただ「今」を生きている、それだけなのです。
ただしお誕生日祝いなどをして飼い主さんの気持ちの波動が上がっていることは感じますので、「今、ママ嬉しいんだ」と自分たちも嬉しくなる、というのが彼らのハートの仕組みです。
彼らは実にピュアでまっすぐです。一説によると、ペットとして暮らしているコたちは野生の生き物より少しだけエゴが強いと言います。エゴがある分、人間と近い感情を抱くのかもしれません。エゴ、と聴くとものすごく悪いものとイメージする場合もありますが、エゴも使いよう、ほどほどのエゴなら、お互いの関係をよりよくしてくれるものなのかもしれませんね。
こんな点もちょっと「学び」の種。彼らとの生活は、私たちの生活にたくさんの彩りを添えてくれます。自分一人では気づけなかったことに気づかせてもらえます。
犬猫ちゃんやその他の動物も含めて、彼らと共存する、ということは、彼らに一方的に私たちの目線に合わせてもらうのではなく、私たち人間も彼らの目線を意識して距離感を近づけていけばいいのではないでしょうか。動物君と暮らすのに権威はいりません、動物君と暮らすのに人より何倍も多くの情報は必要ありません。彼らのハートに寄り添う。それだけで十分なのです、少なくともわが家ではそう。
華実、海・かい、海・うみのお蔭で私はずいぶんと意識をフラットにしてもらえました。それこそが彼らのハートに寄り添う、彼らの仲間として近づくために大切なことなのかもしれないな、と感じながら。
私が人より背が小さいのは、きっと彼らと目線を近づける必要があったから。彼らは私たちよりずっと地面に近いところで生きています、視界そのものが違うのです、もちろん視え方も。何より感じ方が人間とは大きく異なります。わんこは人間の言葉をかなり理解しています、にゃんこは人間の感情はほぼ読み取っています。人間が気づかないところまで。それでも彼らがぼぉっとしているように視えるのは、彼らと人間の意識のフィルターが異なるからです。
彼らはちっちゃい人間ではありません、わんこ、にゃんこという生き物ですし、さらに彼らにも個々の個性があります。魂的にはグループ意識があると言われていますが、少なくとも「犬という生き物は」「猫という生き物は」というくくりでは考えられない精緻なシステムを備えた貴重な生命体です。
そんなことも華実が教えてくれました。見た目はボォ~っとしているけど、かなりの大物、つわものです。
14歳になってもまだ若犬に間違われるほどのたたずまい。「どうだ !」の言わんばかりの華実パワーはますます拡大しそうです。
華実は元々がベッタベタな性格なので、比ゆ的にも現実的にも私にベッタリとくっつこうとします。私はどちらかというと、少し距離を置いて、という方なので、華実にとっては私の愛情は物足りないのかもしれません。それでも華実の愛は枯れることはありません。あふれる一方です。
こんな愛の「製造マシーン」、人間だったらあり得ないはず。
華実は犬、犬だからこその華実なのです。
わんこやにゃんことの距離感は近すぎてもなんだし遠すぎてもなんだし。なんでもホドホド、良い塩梅がいいのです。なかなか難しいですけれど、彼らのために、ちょっと距離感を調整することも時には必要かもしれません。
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