ベランダに百合の花を飾っています、花びんに入れて。
主人がパーティに出てもらってきた花。リビングに飾ったのですが香りがきつく、どうやら愛猫・海・うみは苦手な様子。
確かに猫さんに百合はあまりよくないとの説を数年前に耳にしたことがあるのですが、それでも今まで数回百合を飾りました。海・うみもまったく問題はありませんでした。今回だけ反応しているようなので、それならベランダのテーブルに飾ろうか、と。
私はガーデニングをやっていますのでベランダにはそこそこのお花があります。けれどそれは「飾る」というよりは「育てる」、そして「花たちに生活してもらっている」という感覚です。
ベランダに白いテーブル・セットを置いています。そこでお茶をいただいたり本を読んだり、ちょっとしたテラス気分、リゾート気分。そのテーブルにおおぶりのピンクの百合とバラの入った花束を飾ったのです。
「ベランダに飾ると綺麗だね」
主人が言います。なるほど一つ花びんがあるだけでベランダの表情がぐっと明るくなります。
もしもベランダで何も育てていなかったら、いかがですか、ベランダにちょこんとフラワー・ベースでお花を飾ってみるというのは。それだけで気分が変わるかも。氣が変わるかも。
氣って実はこんな風にあたりまえに私たちの周りに存在しているもの。だけど視えないもの。だけど感じることはできるかもしれないもの、感覚的に。
こんなことに気づかせてくれたのは百合の花の精霊でしょうか。
ちなみに百合は女性性の象徴とされる花。ピンクの色は無条件の愛、あるいはハートの色、愛情の色、そして女性臓器の色ともされています。
どちらも「女性性」ですね。
タイ・バンコク旅行犬猫お留守番事情 で海・うみが女王様に変身した、とお話しています、海・うみの中のパワー・バランスが変わったのでは、とも。
フェミニン・リーダー・シップの顕在化、今回の百合の花束もそこにあるのではないでしょうか。
ふと思ったのですよ、いつもなら「中」に飾る百合を「外」に飾った。女性性というのは一般に「陰」の性格があるので「内」に宿るもの、という考え方があるのです。それが「外」へとあらわれた、そのサインなのではないかと。「外」は一般的に「陽」の性格。ただし「陽」がよくて「陰」が悪いということではありません。
中国の太極思想には「陰陽転化循環律」と言って『陰極まれば、無極を経て陽に転化し、陽極まれば、無極を経て陰に転化する』という考え方があります。
むずかしい概念はおいといて「陰陽バランス」のお話だと捉えていただければいいかと。太極思想ではそもそも『陽は善ではなく、陰は悪ではない。陽は陰が、陰は陽があってはじめて一つの要素となりえる』という考え方をします、善悪二元論とはちょっと視点が異なります。
最近、私「氣」のお話多かったですよね。実際私はほぼ毎日気功八段錦という気功系エクササイズを家で行っています。太極拳もならいましたし。
もしかして「大いなる〇 丸 意識」の芽生え ? それの顕在化 ?
またまた海・うみのサポートが入りました。海・うみが百合の花に反応してくれたからこそ、このメッセージにたどり着くことができたのですから。
海・うみりん、わが家に来るべくして来てくれたあちらからの使い、ということでしょうか。
毎日の点と点をつなげていくと新たな発見がたくさん。実はアナログ意識って悪くないんじゃないかと超アナログ人間の私はそんなことも想うわけです。もちろんデジタル意識も悪くない。
そうそう、悪くないんですよ、どっちも。どちらもがあっての何か、なんですから。
そっか、昭和、平成のお荷物 手放しました ! とお伝えしたのはもしかしてこのこと ?
陰陽二元論時代に入ったのかもしれません、私の意識の話。「陰陽合一」のエネルギー ? それって「創造」のこと ?
とエンドレスになりそうなのでこの辺で。エンドレスってことは「〇 丸」、そう「循環」の意味ですね、きっと。「氣」が巡っていく予感。さらに強く大きく。
※ 追記
明日愛犬・華実のお誕生日です。その前日にこんなに大きな気づきがありました。明日はもっとすごいコトがプレゼントされるかも。
※ 追々記
奪い合い、制限の世界から、シェア、共有、∞ 無限大の世界へ。意識の拡大の世界。たった今浮かんできました。もちろん奪い合い、制限が悪いわけでなくて。