一年半ぶりにパワー・ヨガ・レッスンに復活しました。習う方です。
パワー・ヨガとは、ヨガ・ストレッチとほぼ同じもので、ヨーガ・スタイルのヨガとは少しタイプが異なります。
バクっと言ってしまうと、ヨガのポーズを取り入れたストレッチ体操のようなもの。スポーツ・クラブでのヨガはたいていこのタイプではないでしょうか。
ヨーガ暦14年目の私。身体がかたいのと微妙にしっくりこない感があってパワー・ヨガは一年半お休みをしていました。その間、ホット・ヨガをやっていました。こちらは呼吸法メインのヨガ・ストレッチのようなもの。呼吸法の指導方法が私にはピッタリなので、いい感じで続いています。
ですので実際には一年半のブランクはなく、その先生のレッスンは、ということですがちょっと話がまどろっこしい。
さて、パワー・ヨガ・レッスンに戻って三回目のきょう、レッスン中に足の裏と手のひらから氣が出まくっていました。エネルギーの流れが体感できました。
今までヨーガ&ヨガ系レッスンで氣の流れは実感できなかったかあるいはアーサナ、ポーズのことですが、そのアーサナのむずかしさでそこまで気が回らなかったのか、今回「初」の出来事に嬉しくなってしまいました。
この変化はなぜ起きたのか、というと。
〇 一つは並行して受けているピラティス・レッスンのお蔭で体幹が強くなり、今までできなかったポーズが少しできるようになったこと
〇 それに伴い、アーサナをしながら呼吸に意識を寄せられるようになったこと
この二つが大きなポイントです。ヨガはバランスを取りながらのポーズもたくさんあるのですが、体幹力が弱いとバランスが崩れ、ポーズそのものが「できない」という意識が膨らみます。
「いくらやってもできない私」という意識です。
ところが体幹力の強化のお蔭で、今までできなかったポーズが余裕でできるようになり、その余裕の分だけ呼吸にも意識が回せるようになったのです。
以前は「身体を柔らかくしたい」という欲求が強かったのですが、それはなくなりました。ストレッチの延長ととらえ、身体がほぐれればそれでいい、という気持ちになりました。
欲求のハードルの高さと方向を変えたのです。
そうしたら全体的な気持ちの余裕が生まれ、「なるほど、これでいいや」と「できる、できない感覚」が薄れてくれました、自然に。
みんなと同じようにできなくてもいい、自分のペース。
このことがストンと腑に落ちてくれたみたい。
そう、身体のかたい私は自分自身でそのことを責め続けていたようなのですが、「大丈夫、身体の柔軟性は人と比べるものではないから」と「自分自身」に向き合うことができたようなのです。
パワー・ヨガの先生は以前から「マイ・ペース」といことを強調して教えてくれていたのですが、私にはそれが頭ででしか理解できなかったみたい。
きょうのことでわかりました。先生の指導法は変わっていないのに、私の身体が変わってくれた。
つまり、私の意識が変わったから、ちゃんと手足から氣が流れるということが起きてくれたということ。
なんでもそうなのですが、意識がはじめ。現実は後、に起こります。
意識を変えたから私の現実も変わりました。
これからは「身体がかたいから」という言い訳も自分自身への罪悪感や自己卑下なども必要なくなります。
たったこれだけのことだけど、ものすごい収穫。
手足から氣が流れるという現象は誰にでも起こり得るものです。意識するかしないかの違い。
手足から氣が流れるということは氣の巡りが良くなり、氣が活性化する、ということ。氣が活性化するということは生命力の源とつながり生命力もアップするということです。
私の場合はですが、太極拳や気功八段錦、あるいはピラティスなどでも手から氣は流れます。すべてに共通しているのは「深呼吸」です。それぞれエクササイズによって異なる呼吸法が「正しいもの」として設定されているのですが、あまり呼吸に意識を向けすぎても「正しい呼吸ができない」という意識が生まれてしまいます。
「呼吸をとめない」
基本はこれだけ。それが深呼吸ならよりベター。それが腹式だったり逆腹式だったり胸式だったりすればなおベター。
ステップを踏んで呼吸法もマスターしていけばいいんでしょうね。
この手のことは「考えすぎない」が大事。心身に任せて、その時自然にできる呼吸をしていればいい、というのが経験から学んだことです。
ここのところ、手から氣が流れていくことも多くなりました。
どうやらプラーナ、氣、マナ、つながりました ! のエッセイを執筆して流れが変わったようなのです、エネルギーの流れ。
思考が現実をつくる。
意識が現実を変える。
その、思考と意識はどこからきているのでしょう。
多分、「真ん中」、源なのではないかと感じています。
源とはなんなんでしょう ?
※ 追記
ヨーガと太極拳は兄妹のようなものとの説があります。太極拳と気功八段錦は、ほぼ同一の流れから生まれたものです。またピラティスにはヨーガの考え方が取り入れられています。
ここでのポイントは「融合・フュージョン」。さまざまな思想、思考の複合的世界。
「これだけが絶対」「これだけが正しい」という考え方より幅が拡がり、それだけ私たちの心身にもやさしくなるような気がしています。
おそらくラジオ体操やストレッチだって、動き的にはそれほど変わりはないはず。
自分の心身魂に合ってるな、というものをその時々で楽しむ、というのがいいのかもしれませんよね。「できる、できない」「正しい、正しくない」ではなくてただ「楽しむ」というスタンス。