先月末タイのバンコクに行ってきました。
事情、というほどではないんですけど、犬猫ちゃんのお話を少し。
タイは仏教国です。日本の宗教の考え方とは異なり、修行を積んだ高僧は国民総じての尊敬の対象になります。高僧の意見が国王や国の意見よりも「上」になることも多いんだとか。興味がわく場合は、「タイ・仏教」でお調べいただくとおもしろいかもしれませんね。
さて、そんなタイには寺院がたくさんあります。寺院の中や敷地内に中・大型犬サイズのわんこがデロンと横たわっています。たいていは首輪をつけています、寺院ではなくてフェリーの乗り場あたりにも首輪付きわんこがたくさんいます。リードはつけていません。
ただそこにいる。寝ていたり、ボォっとしていたり、トコトコ歩いたり。周囲の人はほとんど関心を示しません。わんこも特に人間に何かをアピールすることもなくお互い空気みたいな感じで共存しています。
私には結構新鮮でした。同じアジアでも私の大好きなバリではわんこはかなり虐げられていました。首輪をしているコも少なく、みんなガリガリ。人に近寄っていくと追い払われるケースがほとんど。
タイでは小型犬はリードをつけてお散歩をしていました。もしかしたら彼らは室内生活なのでしょうか。中・大型犬サイズのわんこは地域犬みたいな位置づけかもしれませんね、誰かがタイミングを見てごはんをあげる、というような。わんこの周りには穏やかな安心感があふれていました。
一方猫さん。こちらは寺院の敷地内にたっぷりと言っていいほどいました。愛猫・海・かい&海・うみのご先祖さまとされるシャム猫ちゃんもいました。
みんなスマートです、そして綺麗、被毛もフワフワです。それぞれ首輪をしています。ということは地域猫さんでしょうか。
あるお寺で猫ごはんタイムに遭遇しました。
そこでの猫さんごはんは「カリカリと白ごはん、そしてお魚」のミックスごはんです。スープはかかっていたのかちょっとわかりませんでした。ごはんは人が手でマゼマゼします。大きな器にいっぺんにいれてみんなで仲良く食べ合います。
一匹、お魚のところだけくわえてちょっと離れたところで満足そうにごはんを食べているコがいて、思わず「海・うみ ?」と思ったほど。愛猫・海・うみは白ごはんは食べずにカリカリと缶詰とあとお魚やお肉に眼がありません。缶詰とお魚、お肉があるとしたら、断然お魚・お肉に食らいつく派。
やっぱりタイでも猫さんには個性があって、食事光景だけでそのコの性格がわかってしまう感じで思わずニンマリ。
一つ面白いな、と感じたのは、猫さんごはんは公衆トイレの中で創られます。ピカピカに磨かれた公衆トイレの床に座り込んでまるで井戸端会議のように何人かでお話をしながらごはんをマゼマゼするのです。
この感覚、素敵ですよね。トイレとキッチン、どちらが清潔という考え方ではなく、どちらも同じくらいピカピカに磨き上げてしかも自分たちもそこにベタッとお尻をついているんですから。
さらに、やっぱりこれだ、と感じたのは手でマゼマゼする点。実は私たちの手には微生物がついていて、この微生物が体内に入って私たち自身を守ってくれるようにできています。「除菌」情報ばやりの昨今の日本では、このありがたい有用菌の存在を忘れてしまっているのではないかとちょっともったいない気分。いえ、私自身も忘れていた一人でした。
私たちのつくるおむすびにパワーがあるのはこの微生物、菌のお蔭。このことを知ってから私は愛犬・華実と愛猫・海・うみのごはんはできるだけ手でマゼマゼするようにしています。たとえ缶詰ごはんの時であっても「マゼマゼ」。
「マゼマゼ」で彼らのお腹に微生物や有用菌が入るわけですから。あとは「おいしくな~れ」の気合でしょうか。
とここはちょっと自画自讃気味ですけれどね。
タイに行って改めて感じたのは、猫さんは気まぐれでわがままと言われることが多いけれど、彼らは決して自己中なんかじゃないですよ、ものすごく状況をよく観ててしかもものすごくハートフルです。それはわが家でも常々感じていたこと。
猫さんが地球征服を狙っている、という説もあるけれど、仮にそれが実現したら、今よりもずっと友好的で調和に満ちた世界が築かれるのではないでしょうか。ま、この辺は妄想の世界ということで。
結論。
タイ・バンコクではわんこもにゃんこもみぃんな幸せそうでした。「〇 丸」のエネルギーがそこかしこに感じられました。お世話をしている人々もみぃんな幸せそうでした。
もちろんタイ・バンコクにも闇はあります。私たちには想像もつかないほどディープな闇が。けれどタイの人は本当にフレンドリーです。とても親切です。微笑みの国・タイランド。
人の幸せってなんだろう、とよい意味での刺激をもらったタイ旅行となりました。
※ 追記
タイ旅行は何を意味していたのか ? ← よろしければこちらもご覧ください。