「がまんしなくていいんだよ」

 

主人が言いました、「俺、ずいぶん我慢してきたんだな」と。

 

これは私からすれば姑、主人からすると母親と数時間過ごして帰ってきた時の言葉です。

 

そうなんです、主人はずうっと我慢してきました、「長男だから」という鎖に縛られて。

 

家のため、親のために生きてきました、自分の夢など忘れたかのように。

 

「やっと気づいたんだね、いいんだよ、もう家や親のために生きなくても」

 

この言葉の意味がどこまで通じたかはわかりません。が、今までしがらみの中にどっぷり身を浸していた主人がやっと気づきの第一歩を踏み出せて本当に良かったと思っています。

 

主人は私なんかと比べると本当に保守的で、がんじがらめな日本社会の中で生きています。そこには素晴らしいメリットもあれば、おいおいと感じるようなデメリットもあります。

 

私は保守的とは無縁な魂だと感じています。それでも一緒にいればどんどん引っ張られてしまう。

 

今回のこの流れは、私のエネルギーの流れの方が主人のエネルギーの流れより強かったということの結果かもしれませんよね。

 

夫婦と言っても魂は別々、ツイン・ソウルとかいう人たちとは違う、少なくともわが家の場合。

 

それでもこういう変化が生まれました。

 

素直に嬉しいし、良かったねとも想うし。

 

家のしがらみ、親のしがらみ、きっと誰しもが少なからず抱いている課題でしょう。けれど時間をかければしがらみの存在が薄れる時もくる。

 

しがらみ、で調べたら「柵」と書くんですって。へぇ~、柵なんだ。そういう意味でいうと、私の文章まちがっているかも。しがらみ = 流れをせき止めるもの、みたいな意味になりますね。

 

あえて書き直しません、文章にも流れがありますので。

 

あまり深い意味はなく、それでも主人の「一歩」におめでとう、と言いたい気分です。主人が軽くなった分、私も自由度がさらに増すかもしれないから。

 

人を変えたかったら、まず自分が変わる。変えよう、変えようと思っても人は変えられるものではないのです。だから自分が変わる。

 

私は「長男の嫁なんだから」というしがらみを数年前に手放していました。ものすごい勇気がいりましたよ。でも結果としてうまくいったんじゃないでしょうか。

 

もちろん人それぞれ。「○○家のお嫁さん」でうまくいく人だっている。

 

私の場合は、ということです。この、「私の場合」がものすごく大切。みんな違う魂だからそれぞれに「私の場合」があるということですよね。

 

 

 

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