私ってメンタル弱かったんだな。
でもこころの体力戻ったんだな。
これがたった今の気づきです。
元々私は気が強い方。気、氣と置き換えるとわかりますね。元々生命力は強かったんです、生命力の根源とつながっていたから。もちろんあなたも。
いつからなんでしょう、どこからなんでしょう ?
ハッキリとあの時とわかりません。知らず知らずのうちに打たれ弱い、メンタルの弱い人間になっていたみたい。
そこにとどまっていることもできたけど、元々気の強い私は、「違う違う。今の私は本当の私じゃない」とどこかで必死にリベンジを狙っていたんじゃないでしょうか。
私は人生の中で何回も絶望を味わってきました。私のセンサーは割と感度が高い方なので、ちょっとしたことでもガクンと落ち込む。でもその落ち込みを感じたくない。だから落ち込みを抑圧する。すると今度はちょっとした落ち込みでもどんどん深い落ち込み感になって、いよいよ、もうダメダ、と感じた時、起死回生を狙った。すべて無意識のうちに。そんな感じなのかもしれません。
これからまだまだ生きていかなければならないんだからこころに体力つけておかないと。こころに体力がないと身体に体力つかないんですよ。そういう順番になっています、この世の仕組みは。
どんなにエクササイズをしたって、こころの筋力は鍛えられない。「やったぁ!」っていう達成感で気持ちが一時ハイになるけれど、残念ながらそれが持続することはありません。
強いスポーツ選手はメンタルも強いって言われるじゃないですか、己との闘いとも。彼らは肉体と精神、共に鍛えている人たち。自分と闘う、自分と向き合う、自分と抱きしめ合う。表現は人それぞれでしょうけど、自分と対峙しなければいけない。
その基本原則を証明させてもらいました。
徹底的に自分に向き合いました。絶対目をそらさずに。
あのどん底の絶望感は二度と味わいたくなかったから。
そう考えると、おそらく私の絶望感の起点は母の突然死。そしてその終点は去年の春の元親友の突然死。
特に友達の突然死は私に大きなダメージを与えました。彼女はホリスティック・ケアのエキスパートだったのですが突然死しました。私の知る限り彼女は理論の上では完ぺきなケアを施していたのです、自分の身体に。誰よりも勉強して、誰よりもお金と時間をかけて。彼女の死によって、私の中で何かが崩れました。
ホリスティック・ケアは万能ではない。
ホリスティック・ケアは魔法の杖ではない。
その、絶望感でしょう。自分の真ん中から目を背けたらおしまいだ。サプリメントやホメオパシーにしがみついたら大変なことになる。もちろんサプリメントやホメオパシーが悪いということではありません。が、それらを過大評価して頼り切ることには無理があるという現実に気づきました。
すべては自分の力。
これを受け容れることが最重要視されていました、少なくとも私の人生においては。
こういうとホリスティック・ケアの専門家や代替療法を生活に取り入れている人たちは不快に感じるかもしれません。
誤解のないようになさってください、私の人生においてというお話なだけです。
私は私のハートの感度を信頼していますし私のセンサーを信頼しています。それに基づいて私が感じたことは私の人生においては真実。すべての人の真実ではありません。万人に通用する真実なんてこの世には存在しないですものね。少なくとも自分の世界の真実だけは曲げたくない。私が生きる上でそれはとても大切なことだから。
とやっとこう言えるまでこころの力が回復しました。
「本質的ホリスティック・ケア」。その土台と枠組みができあがりました。基礎体力の部分です。なんでも基礎が一番大事。今まで私が捉えていたホリスティック・ケアは「本質的ホリスティック・ケア」の一部でした。もちろんその一部が役に立つところもあれば、足りないところもありました。私を含めてほとんどの人がその足りない部分から目を背けていましたのではないでしょうか、無意識のうちに。
ホリスティック・ケアを取り入れていれば将来的に安全で安心できると信じたかったからなのでしょう。
けれど今までのベースがあったから、新たな「本質」が視えてきたのです。
私は友人の死がなければ多分絶望感をひっくり返そうという意欲はわかなかった。友人の突然死というショッキングなトラブルが私のこころを真ん中に戻すスイッチとなりました。彼女がやり残したことをきっと私が引き継いだ感じなのでしょうね。
彼女とは一時毎日のように、ホリスティック・ケアについて熱く語っていました。彼女との時間の中で積み上げた経験則を生かしながら、これからはよりブラッシュ・アップしたホリスティック・ケア情報をお知らせしていきますね。
そのためには、私の心身がそれを実証しなければなりませんでした。
こころの体力は戻りますよ、時間をかければ。自分自身の力で。その過程でさまざまなツールを活用することは体験としてはあり、です、まちがいなく。が、ツールだけですべてが解消することはありません。これを使えばすぐにこれが改善しますとか、これを飲めばすぐにこれが良くなります、という便利なものはまだこの世には生まれていないのです。一時的に改善する、というところまではたどり着いていますけど。
特にこころの力は一朝一夕で回復する、ということはありません。ということは、その過程もまた楽しんでしまえばいいんですよね、辛いなと思うことも含めて全部を。
ホリスティック・ケアというのは、わかりやすく言うと命丸ごとを大切にする、という意味です。代替療法はその一部です。さらにもっと深くて不可解な部分をひっくるめての命丸ごと。不可解というのは、解明されていないところも含めて。
私の思う「本質的ホリスティック・ケア」は、動物君と自然界、そして人間も地球もさらに言うと大いなる仕組みも、みんなで応援してくれているんじゃないかとそう感じることができました。ちょっと図々しいですけれど。
こころの体力が戻ったので宣言させてもらいました。
今までのホリスティック・ケア情報はそれはそれでベストでした。ご安心ください。まちがえた情報だったりあなたを哀しくさせるような情報をお伝えしてはいませんので。今からはさらに本質、根源を見据えたホリスティック・ケア情報を加えていった方が、この地球のエネルギーに合うということを感じています。地球はそういう時代に入っているみたいです。地球にあわせて、ホリスティック・ケアもブラッシュアップ、なのかもしれないですね。楽しく、よりシンプルに。
お仲間さん、良かったら私と一緒にこの道を楽しみせんか。
※ 追記
当エッセイ執筆前に人生初の個人セッションを受けました、電話カウンセリングです。カウンセリング中にはわからなかった自分の課題がセッション後次から次に浮かんできています。私の場合、そこでセルフでのカウンセリングが進んでしまうのです。自分では気づかなかったものすごい課題に気づき、先ほど手放しがすんだばかり。
カウンセリング、とても重要です、素晴らしいツールです。自信をもっておすすめできます。そのことがわかったことが私の大きな癒やしにつながりました。カウセリング後のセルフ・メンテのメソッドもかたまりましたので、こ案内、楽しみにしていてください。一度のカウンセリングでも「癒やし」はご提供できます。それを定着させて、ご自身のハートの力を取り戻していただくために。
こころの体力は回復します。元々私たちはそんなに弱い生き物ではありません。強いのです、すべての命は。そのことを一人でも多くの人に想い出していただけるように。私の命はそのために存在しているみたいです。