光は勝手に流れるもの

 

気持ちい~ぃ !

 

久々の桜林。風に吹かれる桜の樹たちにヒーリングしてもらいましたよ~。

 

こういうことなんだ。

 

きょうは午前中の雨のお蔭で空気がキラッキラに輝いています。樹々の緑たちもキラッキラ。このキラッキラの正体、これがプラーナ、氣、マナです。そう、生命力の根源の光。

 

樹々は自然の一部ですから地球の風や雨にふれると生命力が活性化されるんです。瞬時に同調できるから。その生命力が私たちの目にはキラッキラの光となって認識できるようになっているんです。

 

すごい綺麗なオーラの人、あの人素敵ね、美人オーラ全開だわ、という人は、この生命力の光がいつもプラスに働いている人のこと。つまり、自分の源とつながっている人。そう、プラーナや氣、マナにあふれている人だということですね。

 

樹々たちは雨に洗われ、風に吹かれ、自分のオーラを綺麗に掃除してもらいました。だからキラッキラに輝いて元気いっぱい。そのキラッキラの氣に触れさせてもらったから、私のオーラも洗われ、プラーナが活性化して元気になれた、ということです。

 

これこそがヒーリングの原点です。自分の源のエネルギーを想い出す、というのが。私たちの源のエネルギーは無条件の愛ですから、地球の雨、風などに触れると、そこに張り付いていたゴミや汚れが一掃されて、無条件の愛っぷりに磨きがかかる。すると自分自身が元気になる。氣に満ち溢れる。同時にその元気は自然に外にあふれ出す。

 

私たちは『すべてが満ちていた』存在です、その愛が満ち満ちてくれば自然に外にあふれ出す、流れ出す。

 

そうなっているんです、私たちの光は。

 

「光を流そう、光をあの人に届けよう」、そんな意思設定もいりません。自分で自分を無条件の愛で満たせば、勝手に外に流れていく、必要なところへ。その流れていく先もお任せ。私たちが決めるのではなく、大いなる何かが決める、私たちはただ自分を愛で満たせばいい、自分の根源とつながればいい。ちょっと自信がないな、と感じたら地球に力を借りればいい。大地に触れたり、風に吹かれたり、雨に降られたり。

 

先週私はタイに行っていました。タイは雨期。着いた日と翌日は大スコールの繰り返し。すごいスコールなんです。タイの人はバイクで移動する場合も多く、彼らはカッパも着ないでずぶぬれです。「スコールなんだからどこかで雨宿りすればいいのに」。

 

違いますね、彼らは雨の恩恵を心得ているから、だからずぶ濡れになっても決してあわてない。「あ~、スッキリした。自然のシャワーのお蔭でオーラのお掃除ができちゃったよ、ミッケモンだね」

 

文明人ぶった自分が恥ずかしい。彼らの方が断然賢いし生物としてたくましい。機会があったら童心にかえって雨の中でびしょびしょになりながら遊ぶのもおもしろいかも。靴も脱いで裸足だとなお良さそうですよね

 

そういえば私はスポーツ・クラブに行った後、芝生の丘でアウト・ドアランチを一人楽しむことが多いのですが、その時裸足になるんです。裸足で芝生のはえた地面を踏ませてもらう。

 

そっか、私は無意識のうちに地球の恩恵に預かっていたんですね。この習慣はかれこれ10年以上続いています。元々あまり丈夫な方ではなかったのに10年前より遥かに元気になっているのは、地球のヒーリングを存分に受けていたお蔭もあるのかもしれません。理屈じゃなく、私のハートが勝手にそれを選んでいた。

 

地球はいつも無条件の愛の存在ですから、そこに裸足で触れていれば自然に私たちもそのエネルギーに近づきます。わが街は埋立地ですけど、それでも効果がないはずはない。そもそも手付かずの自然が残っている所の方が少ないはずです、私たちが住んでいる場所としては。だったらその場所でのベストを楽しませてもらえばいいんじゃないでしょうか。いまここでのこの状態が自分に最適な環境なんだ、って。

 

あぁ、こうやって地球につながれば、自然とヒーリングしてもらえるんだな。そして私自身からも光があふれて行くんだな、と改めて私たちの命の仕組みはすごいぞ、と感じました。

 

今、ランチから戻ってきたのですが、きょうは家のそばのカジュアル・ホテルでのランチ。そこに数年前、家の近くのショッピング・センターのドトールで働いていた女性がスタッフとしていてたので、接客をしてくれた時にお声をかけたんですね。そしたら、「お元気そうで私も嬉しいです。覚えていてくださったんですね」と、マニュアルにない言葉と笑みで私に対応してくれました。

 

お互いにニコニコし合っちゃって。多分20代の女性。年齢なんて関係ない、客と接客スタッフという立場も関係ない、ただハートの通じ合ったお仲間。

 

そう、私たちの光は勝手に流れ出すんです、意識設定などしなくても。そのためには自分自身への無条件の愛をいつもイッパイにしておくこと。あえて「光を流すぞ」と思っている時は、もしかしたら自分の中の愛のエネルギーが枯れている時なのかもしれません。

 

今から三か月前。それまで私はヒーリング・セッションを行っていたのですが、突然「ヒーリング中止」のお達しがきて、それ以降はカウンセリングと電話相談セッションへと内容が変更になりました。

 

なぜなんだろう、とちょっと不思議に思っていましたが、これが理由。そう、光は勝手に流れるので、あえてヒーリング・セッションをしなくても、カウンセリングや電話相談だけで十分光が届く、ということだったのです。そのためには、まず自分自身を愛で満たしておきなさい、自分自身への無条件の愛でいっぱいにしておきなさい。

 

自分自身への無条件の愛とは。

 

自分を認めてあげること。自分を受け容れてあげること。自分を肯定してあげること。

 

私たち日本人は欧米人に比べて自分自身に向き合うことが苦手なので、どうしても自愛の感情が上手に育めません。その代わりであるかのように、外から愛をもらおう、そのためには自分から愛をあげなくちゃね、と愛のキャッチ・ボールをしようとします。

 

その前に愛のボールはどこにあるの ?  そのボールは投げてもいいくらい十分な強さなの ?  そんなことを感じれば、「あ、いけない、まだまだ投げられるほどのボールはなかった」と気づくはず。自分の真ん中で愛のボールを少しずつ少しずつ大きくしていくことの方が断然大切なことだとわかります。

 

自分の中で自分への愛の種を辛抱強く、丁寧に、優しく、大らかに育てていくんです。それがまず最優先。

 

それがちゃんと育ったら、光となって必要なところに流れ始めます、何も意識しなくても、誰へ、と限定しなくても。そしてその返礼の光が瞬時に返ってきます。

 

あぁ、こういうことだったんだ、ね、こういうことだったんですよ、私たちの命の仕組みは。

 

一番のヒーリングは、自分自身を愛してあげること。それ以上のヒーリングはこの世には存在しないものなのかもしれません。そしてそれは誰にでもできること。誰一人例外なく、「自愛」の才能を与えられているんです。大いなる何かは私たち一人一人がそれを開花させて活用することを心から望んでいるんじゃないでしょうか。

 

それでもなかなかうまくできない。それが人間の人間たるところでもあるのでしょうね。

 

 

 

カウンセリング&電話相談

 

 

 

 

※ 追記 当エッセイの前記事は2019年10月3日4つの赤いハイビスカスは何を言いたいの ?

 

 

夕方、「今」洗濯物の取り入れのためにベランダに出たら、なぜだかわからないけれどなんでもない、いつものこの夕刻の時間の景色が美しい。マンションの前棟の共用廊下に光が灯っただけなのに。反対の西側はオレンジ色の夕景が目に飛び込んできます。

 

いつもの風景、いつもの場所。ここが私の居場所だったんだ、今の私のベストの場所。

 

どこにいるか、が大事なのではなくてどういう気持ちでいるかが大事なのですね、きっと。

 

 

 

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