ん~、ビックリ。以下の全文が突然消えました。復旧しましたよ。何かのメッセージですね、きっと。
「何がなんでも私はあなたを愛すから」
「何がなんでも私はあなたを認めるから」
「何がなんでも私はあなたを受け容れるから」
「何がなんでも私はあなたを愛し続けるから」
今朝、めざめと共に浮かんできたメッセージです。
どうやら丹田と関係がありそう。丹田は「ハラ」とも言われるモノ、日本人の「肝・きも」とも言われていますね。おへその下の奥の方。
丹田という臓器や場所があるわけではなく、そこは空洞らしいのです。
体内にあるエネルギーの洞窟 ? 空 ?
欧米人はハートで愛を感じ取るのですが、一方東洋系はハート+ハラ、どちらかというと「ハラ」がメインだとする説があります。いろいろな説があるので私が知っている説としては、ということですが、特に日本人はハラを生命エネルギーの出入り口として重要視しているそうです。
日本人の「ハラキリ」は丹田に刀を突き立てます。日本人にとってハラは身体の重心であり中心であり。そこから絶えず何かがわき出す、あふれる泉、としての捉え方です。ハラにフォーカスすると、そこにあふれる泉を感じる。とは言ってもその感じ方はそれぞれ。誰もが、そくざに「あ、あふれる泉 !」と感じられることはないそうです。
ハラはいわゆる腹式の深呼吸によってその存在とのつながりが深まると言われています。これにもさまざまな見解があって、太極拳などは逆腹式が一番だ、としている流派もあります。私たち一般人の場合、腹式の深呼吸で丹田の概念を意識していると、知らないうちにそことのつながり感が深まるそうです。
私が丹田という言葉を知ったのは、確か15年くらい前。同時に腹式呼吸という概念と深呼吸という言葉も知りました。なぁんちゃってヨーガを始めた頃です、同時に瞑想、という言葉も知り、そこで丹田の概念にたどり着きました。
修行者ではないのでまったくの自己流ですが、その後太極拳のエクササイズもはじめ、さらに数年前ピラティスのエクササイズをはじめ完全なるレクリエーションレベルで、それでも何かの時に、「あ、深呼吸」という意識づけはあったみたいです。
そのお蔭なのか、今朝の「何がなんでも私はあなたを愛すから」が浮かんできてくれました。
ちなみに「愛す」かな、「愛する」かな、と調べてみましたが、口語の場合は「愛する」を使うんだとか。ただ浮かんできたのは「愛す」だったので、そう記しましたが、意味はどちらも同じです。
印象的だったのは、「認めるから」のフレーズ。今までこれは出てきたことがないものでした。もしかして私の深層心理、潜在意識には、「私を認めて !」という強い承認欲求が潜んでいたのかもしれません。
「私を愛して !」
「私を認めて !」
「私を受け容れて !」
「私を愛し続けて !」
が私の真の欲求だったのかもしれませんね。それに対して、内なる私が「ちゃんと愛してるから。ちゃんと認めているから。ちゃんと受け容れているから。ちゃんと愛し続けているから」、そんな気持ちで応えてくれたのでしょうか。
そのメッセージは、私の生命エネルギーの源泉「丹田」から湧きおこってきた気がするのです。なんとなく。
前エッセイ、地球のエネルギーの変化に伴いの中で私は「行為としての瞑想習慣、卒業」のメッセージがきたとお伝えしています。瞑想を意識的に行わなくても、丹田とのつながりの秘訣がわかったよ、という意味なのかもしれません。
また地球からの伝言の中では、「私につながって。私があなたたちを守るから」という地球からのメッセージをお知らせしています。地球につながる方法は、地球に意識を寄せて、深呼吸をしながら大地を踏みしめる、一歩一歩、愛犬・華実とともに。
スピリチュアルな世界では、それを「グラウンディング」や「アーシング」と言ったりします。ネーミングはどうでもいいしスピリチュアルを外しても構いません。地に足をつける感覚です。下半身に意識を集中して大地とつながるのです、大地の一部として。その結果がもしかしたら「ハラ」とのつながり感の増幅につながったのかもしれません。
私は地球から指示がきたと感じる時は、何も考えずに言われた通りにそれを行います。これはどういう意味があるのか、どういう効果につながるのか、その手のことはあまり考えません。ただ、実践する。すると数日後に、何かの結果らしきメッセージが届きます。
地球のエネルギーが変わっている今だからこそ、誰でも地球とのつながりは深められるはず。
私はメッセンジャーです、私のアンテナがキャッチしたことをお伝えしています。あなたのハートに響くものがあったら、うまくご自身の中に取り入れてみてください。期待しすぎないで。
当エッセイにもホーリー・マザーが関与しているのかもしれませんね。
※ 追記
昨日は風が爽やかだったので、華実と三番瀬の方まで足をのばしてみました。
その瞬間、私たちはどう生きていても、どんなに一生懸命がんばっても、その生活が一瞬にして崩される時がある。何をしていたって。
それなら、毎瞬をハートの赴くままに歓びとともに人生を突き進んだ方がいい。限られた人生、肉体をもった歓びをとことん味わいつくそうと突然、そんな想いにかられました。
わが街千葉県北西部。きのう、台風でなぎ倒された街路樹と海の公園の防風林の撤去作業が始まりました。このエリアの自然は早くも再生モードに入りました。再生が行われる時、「自然治癒力」という強い力が働きます。対岸にもその生命エネルギーは届きます。つながっています。
◎ 備忘録
・「日本人」という意識枠組みからの卒業