地球のエネルギーが大きく変わり始めています。
私個人の感覚です。
お話したいことが山ほどありますが、執筆がまにあいません。備忘録チックになります、箇条書きで少しお話しますね。
◎ 地球のエネルギーの変化
三年くらい前から、なんとなく感じていたのですが、ここにきて、まちがいない、と腑に落ちた感が強くなってきました。具体的にいうと、例えば空気の煌めき、光の加減などが数か月前とはかなり変わっています。フワフワしているのではなくキラキラしている。輝きの鮮明さが違うのです。
地球は変化しない、しないどころか悪くなる一方。
そんな声もあるようですが、私はそう感じています。そうキャッチしています、の方が的確かもしれません。
◎ 地球の変化に伴い人々は
これは、「二極化」が進んでいることを感じます。以前からこのタイミングで地球の人々の意識の二極化が顕著になるとの説を目にしていました。
これについては「本当かな、よくわからないな」と感じていましたが、特にこころのところ「顕著」に感じられるようになりました。完全なる二極化であるかどうかは別にして、「闘いたい人、争いたい人」と「できるだけ自然に生きたい人」の差が歴然としてきているのを感じます。自然に、というのは、豊かな自然の中のナチュラル生活、という意味ではありません。もちろんそういう生活も含まれているのでしょうけど、その人にとっての「自然」、いつもお話している「等身大」が良い意味であらわれはじめているように気がしています。
さらに具体的に言うのなら、過去の力をより一層強く信じようとしている人たちと、過去は過去で素晴らしかったけれど、その先にあった「今」をとにかく誠実に、真摯に見つめる、という人たちです。
ここで一つ気をつけなければならないのは、私自身も含めてなのですが、どうしても過去のアラが視えてしまい、それを否定してしまう、という傾向があらわれやすいという点です。
例えば川が流れているとします。水はずっと流れ続けています。ここまでは過去の水、ここまでは今の水、そしてその先は未来の水。今の水が美しく光っていて、その反面過去の水は汚れていたね、過去の水はいけないものだったね、と感じやすいということです。変なたとえですが、過去が悪いのではなく、私たちの視点が変わったので、過去が色あせて見えることもあるというだけ。過去があっての今の自分。
逆に色あせた過去の認識が出てきたとしたら、それは変化したよ、というサインです。私たちには「自己保存欲求」というものがあるらしく、今の自分から変わりたくないと、こころの真ん中でそんなことを想う生き物らしいのです。変化に対して「恐れ」や「罪悪感」を感じ、それを感じたくないために、過去を否定して、「だって過去がいけないのよ、だから変わらざるを得なかったの」というような、自己弁護意識があるのかもしれません。
この点は、ちょっと気にした方がいいかな、というところですね。
◎ 地球の変化に伴い私は
今年に入って、それ相応の体調不良があって、特に夏場がピークでした。そのお蔭なのでしょうか、「抜けました」、身体が、こころが軽くなっていることを実感しています。
まだまだ完ぺきに「心身共に軽くなりました」と言い切れず、きょうなども少し鼻づまりがあるのですが、その一つ一つに愛おしさが芽生えてきています。
自分自身への愛、です。
過去配信したメールマガジンのタイトルをみていたら、私は3~4年前から「自己愛」という言葉を何回かみなさまにお伝えしていることに気づきました。
頭ではわかっていたんですね、その時点で。
それが数年後の今、やっと現実のことになったというか、こちらもまたストンと腑に落ちた感覚です。
2019年8月28日に自分を愛するってどういうこと ?というエッセイをお届けしています。きょう、同じテーマで書くとしたら、すでに内容は変わっていると思います。それくらい、私の流れははやくなっています。
私がすごい、という意味などではなく、地球のエネルギーの変化が半端ない、と言ったらおわかりになるでしょうか。
流れに乗る、というか、流れのままに、というか、流れそのものになる、といった感覚です。
去年の4月、元友人であり、人生の友だった女性が突然死の形で旅立ちました。その時以来、「グラウンディング」というメッセージが私に何回も届き、その方法論として、地球とつながって、お散歩をしてね、という、ある意味指令に近いようなものを感じ取っていました。
そのパートナーとして、愛犬・華実が私に寄り添ってくれました。そのお蔭で一人ではなかなか続かないお散歩も雨の日以外はほとんど続けることができています。同時にそれは華実自身のグラウンディングにもつながります。
考えてみると、彼女が亡くなってからの一年半が私の「ツメ」の時期だったようです。
愛猫・海・うみは、どこにいようと地球につながるのが大得意ですから、一緒に歩いてくれている華実とともに、私の変化を後押ししてくれているような気がします。
変わらなきゃ、ではなく、自分をそのまま、ありのまま全部ひっくるめて受け容れる、というスタンスが確立しました。
おそらく今このタイミングで同じスタンスの人が増えているのではないでしょうか。
今ベランダに足を運んだら、夏の花たちがキラッキラに輝いています。まるで微笑んでいるかのよう。
この流れの中で、私の執筆テーマとカウンセリング・セッション・テーマに大きな柱が立ちました。予防医学としてのホリスティック・ケアのテーマもより明確にクッキリと浮かびあがりました。
すべては自分自身への愛、自分の全受容です。それがペット君や家族、友達、大切な仲間たちにもつながってきます。
そうそう、そう言えば「行為としての瞑想習慣、卒業」のメッセージがきのう届きました。修行時代の終了です。今までも何回か届いていたメッセージですが、今回は最終のお知らせのようですよ。
これから自分がどこに向かうか、少なくとも自分自身の道筋は視えてきました。焦りは禁物です、その時はちゃんとやってきてくれるみたい。
地球からの伝言でお話したように、地球意識は自分とつながって、と私たちに望んでいるようです。どんなにつらい状況の中でも、何かのひかりが視えてくることはあるのかもしれません。つらい時こそ、見守り続ける存在はある、と信じて。
※ 追記
箇条書き、と言いながら長文になりました。数日ぶりのエッセイ。
一度アップして、夕方加筆を試みていたら、急に文字の設定、行間の設定がバラバラになりました。
「リセットされたよ」のサインです。何がリセットされたのか、あなたはどんな内容をキャッチしたのでしょう。