毎月10日は、愛猫・海・かいの月命日。
「自分の足で立て」
海・かいの旅立ち時のメッセージでした。
私はずっとこのことを「依存」から「自立」への転換だと捉えていました。
そう、誰かに依存して生きるのではなく、自分自身で生きろ、という。
その自分自身の部分の謎解きができました。
それは「自分を愛して ! 愛は常に自分の中心にあるのだから」。
8月28日のエッセイで自分を愛するってどういうこと ?というお話をしています。また「自己愛」について、何度もお伝えしていますね。
人が先、ではなく、まず自分が先、なんだよ、と。
海・かいが重篤な肥大型心筋症になったのは、一歳半の時のこと。健康有良猫以外のなにものでもないと思っていた海・かい、突然の発症でした。1か月近く、飲まず、食わず。海・かいの天国行きの準備は誰の目にも明らかでした。
その海・かいが復活したのです。自分からごはんを食べ、みるみる被毛が蘇り、目に力が戻り。
その後、一年くらいして、心臓病そのものを克服してくれました。
そもそも心臓は「愛」のエネルギーと関係した臓器です。その「愛」のエネルギーは海・かいのものではなく、私のエネルギーとつながっていました。
どういうことかと言うと、動物君は飼い主さんのエネルギーを引き受けるのです。特に大きなアンバランスがある時に。それを引き受けて「早く気づいて」と飼い主さんにメッセージを発することが少なくありません。
一般的ではない考え方ですが、私はこの捉え方には確信をもっています。わが家だけではなく、たくさんのペット君と飼い主さんの間に、その関係性がみられる事実を確認しているからです。
海・かいが重篤な心臓病を発症したのは、肉体的には先天性、そう遺伝性の可能性が考えられます。が、その発現化のスイッチとなったのは、私自身の愛のエネルギーのアンバランス。
海・かいは私にそのことを伝えるために、わざと心臓の悪い身体を選んで私のところにやってきたのです。私の学びのために。正確に言うのなら、海・かいは心臓が悪いのではなく感度が高いコ、人並み外れて愛のエネルギーに敏感なコ。
海・かいの愛は完璧すぎるほどの愛だったのです。
わが家は心臓病の家系です。両親共に他界していますが、心臓病でした。兄が他界していますがやはり心臓病。さらにもう一人の兄も心臓病の手術をし、そればかりか、親戚、いとこのほとんどが心臓病の薬を服用しています。
おい、めい以外は私だけなのです、心臓に何もトラブルがないのは。このことから、私の人生の課題は「愛を学ぶこと」だとずっと思っていました。
ちなみに、私の誕生数秘は「33」、その意味ズバリ「愛の奉仕人」。
愛って何 ? 何をどうすればいいの ? そんな想いでずぅっと苦しんでいました。
その答えが「自己愛」だったのです。
私はそもそものところで「愛」をまちがえて捉えていました。愛は他人からしかやってこないと思うため、エネルギーをどんどん他人に注ぎ、自分の限界を超えて、肉体を酷使し、無理な生き方を続けていました。自分自身のニーズを無視して、他の人たちから愛されるために、必死に身を粉にしてきたのです。
自分自身を愛していないので、人につくすことで他の人から愛を得ようとしていたのです。幼い時に自己愛の傷つきを経験した人はこの傾向が人より強くなります。いわゆるアダルト・チルドレン、あるいは愛着障害などと呼ばれる人たちです。
そこで心臓が悲鳴を上げて、「自分を愛して !」と。そのエネルギーを海・かいが自分の身体で引き取って、私に見せたのです。「早く、気づいて」。
残念ながら、海・かいがいた時には気づけなかった。
やっと気づけたのが、今。
愛は人からもらうものではなく、自分とつながり、自分自身に注ぐもの。自分を愛すること、それが「愛」。そもそも愛は自分自身の真ん中に生きているものなのです。
私と同じようにアダルト・チルドレンで苦しんでいる人、愛着障害で苦しみ続けている人は少なくありません。むしろ、日本人は「自我」と離れたところで教育されていることが多いので、ほとんどの人はアダルト・チルドレンの傾向にあるとの説があるくらいです。私はこのこと自体は4年ほど前に気づき、自分の内なる子どもを癒し続けてきましたが、「自己愛の傷つき」の根本に真剣に目を向けたのは、先週のこと。そこにすべての答えがありました。
まず自分を愛さないと、真実の愛は育めないということ。
自分自身を無条件に愛すること。それが愛のスタートなのです。
愛を他人からもらおうとするのは「依存」。
自分の真ん中につながりこころから自分自身を愛することが「自立」。
海・かいの「自分の足で立て」のメッセージはココだったのです。自分自身への愛。なまじ「愛の奉仕人」なんてフレーズを知ってしまったがために、私は人に尽くすことばかりを考えていたんですね。
今、このエッセイを視て、海・かいはなんて言ってくれるんでしょう ? やっと、こころの底からホッとしてくれるんでしょうか。
動物君は、私たち人間のパートナーです。彼らは私たちの学びのために、時に自分の身体を病のために明け渡すことがあります。が、彼らは愛は明け渡さない。それが人間の想う「犠牲」とは大きく異なるところです。彼らは生まれた時から愛は自分の中にあって、自分は愛そのものだとわかっているから、たとえ現象的に「病」という状態になっても、自分自身、すなわち「愛」を他者に明け渡すことはありません。
どうして、そんな「師」の姿に気づけなかったのか。
未熟な自分を思い知る素晴らしい機会になりました。
海・かいちん、君はやっぱりスーパー・ヒーローです。かっこよすぎて涙が出ちゃうよ、本当に。
今、私のそばにいてくれる愛犬・華実も愛猫・海・うみも海・かいと同じ力をもっています。もちろんあなたのペット君も。
だからこそ、自分のこころのアンバランスを謙虚に認めて、それが彼らの病気につながらないように、自分の真ん中を見つめ続けていようと、海・かいの月命日に。
ちなみに10日の「10」は、完結、という意味があるそうです。完結、そして新たな始まり、なんでしょうね、きっと。
自己愛、自分を愛すること。そこから私たちの本当の人生が始まります。
※ 追記
きょう、珍しく自分自身に「無条件の愛」のヒーリングをしていました。するとハートにものすごいエネルギーが。なんだろうと、参考文献『自分を愛して !』(リズ・ブルボー著)の「心臓」の項目を視て、「これだ」と気づきました。
この本は10年ほど前でしたか、知人がすすめてくれたもの。当時はエゴが邪魔をしてなかなか腑に落ちない内容が多かったのですが、久々にページをめくってみて、ストンと、本当にストンと腑に落ちました。「心臓」の項目は今までも何回も目を通してきたのに、きょうでないとわからないことがあったのです。
また、自己愛については、『自己愛障害の臨床~見捨てられと自己疎外』(カトリン・アスパー著)という本を読んで、その仕組みがウソのようにクッキリと浮かびあがりました。前半は、傷ついた自己愛が大暴れして大変でしたが、読み終えた後、心臓がふにゃふにゃになっていることに気づきました。これまでため込んでいたこころの傷の数々が、本を読んだだけで浄化され、癒やされたことがわかりました。この本は著者、訳者ともにユング派の分析家です。
4年ほど前、愛着障害について日本の著者の本を読んだことがありますが、比べるべきではないものの、まるで深さが違います。私にはこの本は、カウンセリングやセラピーと同等の効果が感じられました。
本の素晴らしさをあらためて実感できたことも私の「自己愛」への肥料になりました。
「自己愛を育む」、すべての人にとっての幸せの種だとそう、確信しました。
当エッセイ、カテゴリーは「心理学、ハート」だとも思いますが、海・かいがいてくれて、のことなのでこちらのカテゴリーにしました。
ここまで読み直していたら、またまたヒーリング=癒やしが自然に起きてしまいました、ものすごいエネルギーが注入されています。
誰の ?