心理学は残酷です。時に、自分の知りたくない現実を突きつけられるから。
意識をそこに寄せていたら、自己疎外、という言葉にたどり着きました。
何 ? と調べてみると、自分の中から自分を排除する感覚のことらしい、とわかり、そう、自分自身で自分のあるがままを外に追い出してしまうこと、というイメージがわいて来ました。
まさに、自己否定。
では、この感覚はいつ始まったものなのだろう、とある本を読んで、ピンと来ました。私の場合、「受肉の瞬間」。
おそらく母は兄二人を産んでこれ以上子どもは欲しくないと思っていたのでしょう。すでに他界しているので確かめようはありませんが。
「子どもなんて欲しくない」、と思っていた母の感情を私はおそらく受肉の瞬間に感じ取ってしまったのではないかと。
受肉が言い過ぎなら、胎児の時に。
胎児は、実は母親の感情をすべて察知していると言われています。心理学的には、それが後々こころの傷になる、バース・トラウマと呼ばれています。
赤ちゃんはまっさらで生まれてくる、というのが定説。
いえいえ、すでにこころの傷を受けているのです、というのが心理学の捉え方。
どちらが正しい、ではなく、赤ちゃんは親を選んだその記憶も、母親の胎内での記憶もすべて覚えている、という説もありますから、私は、まず胎内で母親の「否定」と「疎外」の感情をキャッチしたのはまちがいない、と哀しい現実を選択することにしました。
私が読んだ本によると、私たち女性は胎内にいる時、すでに母親と自己同一化するようになっているとのこと。そう、母の意識や感情が自分自身のものになってしまう、という解釈です。
自己否定とか自己疎外は一般には虐待を受けた人などに起きやすい感情です。私は両親に虐待をされた記憶はありませんし、おそらくその事実はないはずです。
が、胎内にいる時に、「あなたを欲しくはないの」と母の潜在意識がそう感じていたら、その意識が自分自身のものになってしまっていたという事実はすんなりと受け容れられます。ただし成長するに伴い、本来ならその同一化は薄れるそうです。私の場合、「正しい」成長過程を歩めなかったみたい。
痛い痛い現実。私はそれを現実と捉えました、という意味で。
いわゆる望まれない子だった、ということでしょうね。そんなこと両親の口から聞いたことはなかったけれど。ということは母自身、自分の潜在意識に気づいていなかった可能性もあるのかもしれません。母自身、自己否定の中で生きていたのかもしれません。
ただ、私の場合は自己否定が大きかったから、自己肯定に励めたという結果論。自己疎外が強かったから、自己愛に真剣に向き合えたという結果論。
そう思うと、自己否定も自己疎外も悪い感情ではないということです。冷静に考えて、自己否定感ゼロなんて人はいないわけで、誰でも少なからず自己否定感を抱いている。だから自己肯定という概念にめざめることができるのです。
自己疎外感を抱いているから、自己愛だったり、自己受容という概念にめざめることができる。
すべて、マイナスとプラスの法則、陰陽の法則。これが自己統合につながるのかもしれませんね。
では、現実的にどうやって自分の自己否定と自己疎外を受け容れるか、といえば、それはもうその事実を感じるしかありません。そして次に、自分を肯定する方法、自分のあるがままを受け容れる方法を一つ一つ積み上げていくしかないのです。
それが私の場合、自己愛 というキーワードにつながっていた、ということです。
受肉、あるいは胎内にいた時からの自己否定感、自己疎外感は半端ではありません。「あなたはあなたのままでいいのよ」という気持ちを自分自身の中で育て、自分の中の子どもを育てていく。自分が母親になるのです。
逆に言うと、自己愛 のキーワードが頻繁に浮かんでくるようになったということは、すでに私は自分の中の子どもに肯定感や受容のエネルギーを送り続けていたことになります。それこそが自分を愛する、ということです。
あまりにヘビーな感覚だったので、執筆はどうしようと思いましたが、今の私の気持ちはこうです、ときちんと言葉にしてあらわしたいと思い、こうしてエッセイとしてしたためることに決めました。
これが心理学的ヒーリングです。
一旦痛い想いをします。けれどその反転は自然に起きて、痛みが強ければ強いほど、癒やしのエネルギーも強くなります。
もしも「自己愛の欠如」という言葉にピンと来るようなら、あなたはセルフ・ヒーリングの第一歩を踏み出していることになります。その感覚は「チャンス」です。
私の場合、数年前から「自己愛」というキーワードが浮かんでは消えしていましたが、この数週間はそのピークだったような気がします、反転への大きなプレゼントだったんですね。
参考にした本は、『女性の深層』エイリッヒ・ノイマン著。この著者は深層心理学者であり思想家であるユングの高弟らしいのですが、本の中身はハッキリ言って難しすぎ。すべて読むには至っていません。
ユングの本がそうであったように、私には難解すぎる。それでもここだけはおさえなさい、というように、本の方から「胎児の意識は母親のそれと同一化する」という内容の箇所をさししめしてくれました。これは女児の場合、だそうです。まだ性別はわからない段階でも、女児は女児として生まれてくる選択をして胎内に入ったわけですから、意識的には、母との自己同一化という認識でいいらしいですよ。
今まで、さまざまな本を読んできましたし、ユング関連本もそこそこ手にしましたが、女性性の視点での深層心理学本はほとんどないと言いますから、この本との出逢いは最初から組み込まれていたことなのかもしれません。「今」なんだよ、と。
しっかり内容が理解できるといいのですが、私にはちょっと無理。それでもたった数行だけで、私にとっては「宝物」の情報になりました。以前お話したように、ユング学校、卒業後、さまざまな情報が手繰り寄せられるように私の手元にあらわれてくれています。
握りしめていたものは、一旦手放す、とさらに自分にふさわしい形で目の前にあらわれてくれることがある、とどこかで目にしたことがあります。人間関係もそうかもしれませんし、お仕事などでもそうなのかもしれません。依存しているな、停滞しているな、と感じたら、勇気を出して、一度手放す。そんな方法論もあり、という証明ではないでしょうか。
それにしてもユング心理学は深い、むずかしい。だからこそツボにはまった時のヒーリング作用は半端ない、が私個人の感想です。今回の「自己否定」と「自己疎外」の反転は、私の人生の根幹にかかわってくるほどのものですから。
ちなみにバース・トラウマはその魂の選択、課題が視えてくる、という点で重要な概念だと私は感じています。
私の課題は、自分を認め、受け容れ、肯定し、自分自身を愛することで他者も愛する、ということでした。そのための自己否定、自己疎外、という感情を母が私に与えてくれたのです。そういう母を私自身が選んで生まれてきたのです、人生の課題のパートナーとして。
お母さんも大変だったろうな、こんな魂を受けとめるのは。
※ 追記
同時期に別傾向の心理学の本を読んでいました。こちらの心理学のテーマは「自分が自分らしく生きていく」「自分が自分になっていく」というもの。私と同じように「愛着障害」の心理学者の理論をまとめた本です。そう、愛着障害であるから自己愛の大切さが身に染みるのです。本書では「愛着障害」の言葉は使われていませんが。
『カール・ロジャーズ入門~自分が自分になる、ということ』諸富祥彦著
心理学者は聖人ではありません、みんな自分の課題をひも解くために、さまざまな学説をといています。
ユングは、自身が統合失調症と同じ傾向の症状を抱えていて、統合失調症患者の治療のために、その方法論を確立しました。
フロイトは、神経症患者の治療方法を説きましたが、自身が神経症の傾向が強かったとも言われています。
アドラーは、幼い頃病弱だったり身体が小さかったりして、特に身体的に劣等感を抱いていたそうですが、その劣等感を克服する方法をまとめあげました。
もちろん私がそれらの学者と同レベルでものを語れるはずはありませんが、彼らの人間臭さにたまらない魅力を感じます。
私たちの一見「弱点」はその人ならではの素晴らしい個性だとわかるから。