おとといから風邪引きです。微熱あり。
今回は、内臓の内側から、いや~なエネルギーが浮かびあがってきています。
何だろうと感じてみるとどうやら「自己愛への偏見」。
私たち日本人は特に多いんじゃないでしょうか、「自己愛」は傲慢なもの、恥ずかしいもの、という意識。多分、その集合意識につながったようで、はんぱない気持ち悪さ、はっきり言って「不快」の一言。
きのうはほぼ一日ダウン。食欲もなく。
風邪自体は、血管を緩ませるという効用があるので全然気にしていないのですが、この不快感、たまりません。が、これだけの不快感が浄化されるということですから、かなりのヒーリングが起きている、ということなのかもしれませんね。
さて、自己愛について考えていました。すると「不安や恐れにしがみつく」という感情が浮かんできました。なんだろう、とさらに感じてみると、どうやらこういうことみたいです。
私たちは不安や恐れを抱くと、心身にストレスを感じ、その結果、何らかの体調不良があらわれます。幼い時、身体の具合が悪い時は、親がいつもよりよく看てくれた。そんな体験はありませんか。
私は、と考えてみたら、あるんです。
私は扁桃腺がはれやすかったので、風邪を引くと大変。高熱が出てウンウンうなります。そういう時に母がいつもより面倒を看てくれて。
普段は割と放任主義でした。
だから、「熱を出すと構ってもらえる」という学習をしているみたいです、私の潜在意識。
ところが手術をして扁桃腺を取ってしまったので、なかなか熱が出にくい体質に。
でも、体調が悪いと構ってもらえるという学習をしているので、なんとか体調を悪くしようとしているみたい。
そこで何を使うか。意識です、感情というか、こころの部分。
「あ~、こんなに不安だ」「あ~、こんなに恐ろしい、いやだ」という感情。
それらの感情がフル稼働してくれれば、私は体調を崩します。熱はでなくても。すると母に構ってもらっていた自分が蘇る。
なるほど、新たな自分の発見です。私は「体調は悪くなりたくない」という顕在意識の裏で、「体調が悪くなると人に優しくしてもらえる」という意識をもっていて、そのために「不安」「恐れ」という感情を駆使していたんだな、とわかりました。
屈折ちゃん。
多分、どんな人の中にもある屈折ちゃんじゃないでしょうか。その程度の差はあると思いますけど。
なるほど、なるほど。
私は「自己愛を大切にしよう」と思う反面、「誰かに構ってもらおう」と思っていて、「自己愛の愛は自分自身で完結するもの」なのに「他者からの愛」を求めて、それを引き出すために自分自身の「不安」「恐れ」という感情に依存していたんだ、という事実がわかりました。
とすると、もしかしたらこの「いや~な感じのエネルギー」の正体は、長年抑圧してきた「不安」と「恐れ」なのかもしれません。
これらを感じきれば、「他者からの愛を欲しがらなくても自分自身で自分を愛してあげれば、何も不安は起きない」という現実を感じることができるようになるような気がします。
朝起きた時はまだかなりの「不快感」があったのですが、実は今は、ほとんどおさまり、風邪も過ぎて行ってくれている感じが伝わってきています。
季節の変わり目の体調不良。案外こんなことが原因なのかもしれませんね。
今回も、何もケアせず。
昨日は抗わず、身体を横にして休めていました。いつもなら葛根湯くらいは飲むのですが、それも飲まず。
こういう子どもの時の記憶って、割と私たちの中に残ってしまっているものなんです。心理学的には「インナー・チャイルド」と言ったりしますが、この記憶を一つ一つ手放していく。そうすると、私たちの意識のデトックスがすすんで、心身が少し楽になります。
この状態が「癒やし = ヒーリング」です。何も使わなくても意識一つで起こせるもの。
その大元がこころの自然治癒力です。自然治癒力は身体だけではなく、こころにもあるもの、作用してくれるもの。こころの自然治癒力の方が身体の自然治癒力より「上位」に位置するという考え方があります。この時の上位は「優劣」の意味ではなく、単に「先」、のような感覚です。
意識が先。そして身体が次。
自然治癒力の働く順番とでもいったらいいでしょうか。
このことを覚えておけば、たいていの症状は過ぎていきます、自然に。なぜなら症状を招く大元の原因は「意識」だから。
病は気から、ですものね。
ありがたいものですね、ここまで執筆したら、ほぼ体調は真ん中に戻っています。
書く、ことも大きな癒やしにつながります。そう、回復期に入っているな、と思ったら、何かを書いてみる、描いてみるのが効果的。
※ 追記
執筆後、お気に入りのインド・カレー屋さんでランチをいただき、その後、市役所にパスポートの申請に。
また新たな10年の始まり。新規申請ではなく切り替え申請。「切り替え」というのがポイントかな、と感じました。10年前私はどんなことを考えていたんだろう。多分その頃は、愛猫・海・かいの心臓病が治って、それでもお薬とか現代治医療にものすごい疑問を抱えていて、しかも、海は夏、食欲が途端に落ちるので、この季節だと相当苦戦を強いられていたはず。
あれから10年。海・かいはいなくなってしまったけれど、海・かいにそっくり、お顔だけ、の海・うみがわが家の一員に加わってくれていて、しかも女性リーダーのポジションに。
なるほど、ここが私へのメッセージなのかも、ですね。
今朝までのあの不快感はどこに行ったんでしょう。やっぱり、症状も意識も「流れる」。