朝、主人と一緒に古代蓮をみて来ました。今年二度目の古代蓮。
古代蓮のある公園についた瞬間、右ひざに「ピキッ」と痛み。これ以前も経験があるんですが、霊存在が関与してのことなんです。
あまり、霊云々のお話はしたくないのですが、私たちには常に「低級霊」と呼ばれる霊存在が飛んできているらしく、ただし、それらは自分のこころが弱っていなければ、すぐに通過していく存在だ、ということをある霊能者がご自身のサイトで書いていました。
おそらく「霊」と言っても、一般に私たちがイメージするようなオドロオドロしいものではなく、そういうエネルギー体のようなものがある、という意味なのではないでしょうか。
古代蓮を観て、家に戻ってきて、ある治療家の方の画像を目にしてビックリ。
憑いています、明らかに。霊が視えるのではなく、霊が憑いた表情をしているのです。
この治療家のご著書をさぁっと検索してみたら、この方はすべてを「イエスorノー」にわけて、「ノー」にあたるだろう人たちを否定しまくっています。
なるほど。ミイラ取りがミイラになった、ということみたいですね。
病や症状を悪いモノとして、自分は正義の味方と、それらを徹底的にやっつけるスタンスを取った。結果悪いモノのエネルギーが膨れ上がって、自分が「敵」と視ていたそれらと同一化してしまったのかもしれません。
治療家という職業に就く人は、本当に命がけです。例えばヒーラーをしている人で、人のマイナス・エネルギーの影響を受けて体調を壊した、という人を何人も知っています。
イライラしていて、ストレスフルな人のそばにいるとこちらまでイライラしてくることってありませんか。逆にニコニコしていて幸せそうな人のそばにいると、こちらまであたたかい気持ちになったり。
赤ちゃんとかペット君はそういう存在ですよね。
それらは何も「気」のせいではなく、けれど明らかに「気」が関与してのことなのではないでしょうか。この時の「気」は「病は気から」の「気」と同じようなもの。もしかしたらさらに「氣」と呼ばれるようなもの ?
とすると「霊」と呼ばれているものは「気」、あるいは「氣」と呼ばれるものと同じなのでしょうか。
そうだとしたら、「低級霊」と呼ばれる存在も怖いものではなくて、低波動の「氣」なんだな、と比較的理解しやすいレベルの話になってきます。
その、低波動の「氣」は自分の中に同じようなエネルギーがたくさんあると定着してしまう、過ぎていくことがでくきなくなってしまう。磁石のようにくっついて。
その状態を私たちは「憑りつかれる」と呼んでいるのかもしれません。
話を戻しましょう。たまたま見かけたその、治療家の方には、おそらく低波動の「氣」が定着してしまっています。それが表情にあらわれている。
その方は、「自分は大丈夫」「自分は敵をやっつけられる」と思っていたのではないでしょうか。過信したのです、おそらく、「自分は正義の味方なんだから」と。
治療家という職業は、ある意味命がけ。
私たちもメンタルが治療家になってしまうことがないわけではありません。
「大変なあの人を助けてあげたい」と強く思いすぎた時に。
もちろん誰かを助けてあげたい、と思う気持ちが悪いわけではありませんが、自分が支えられる相手なのかどうなのか、は冷静に判断した方が良さそうです。
身の丈を知る、ポジティブな身の丈、ネガティブな身の丈。
自分サイズはこうなんだ、と。
家族の中に病人がいたとします。支える方は一生懸命になって、自分のことは後回し。気づいてみたら共倒れ、なんてことは、実際にたくさんある話ではないでしょうか。
見栄をはらない、身の丈を知る。できること、できないことの線引きをきちんとする。
それが万が一、人から視たら「冷たい」と思えるような状況だったとしても。
自分サイズは自分にしかわかりません。
私が目にしたその治療家の方は、そういうことを私たちに教えてくれているのかもしれませんね。
無理は禁物。と。
身の丈を知って、足りないところを誰かに補って欲しい時には、明確に「助けて」と言う。
私はともすれば、身の丈以上のことをしてしまおうと思うタイプなので、「無理はしないで自分サイズでね」と古代蓮の精霊ちゃんが私の右ひざを「コツン、コツン」とつつくために、あの公園へと誘ってくれたのかもしれません。
古代蓮の存在を知ったのは、一昨年のこと。はじめてその姿を見た時に一目ぼれ状態。夏限定の花なので、命のはかなさを伝えようとしてくれているのかな、とか、観ているだけで何かがこころに響く存在感とかつながり感とか、生命力とか、「命そのもの」のありがたみを感じさせてくれているのかな、とか、なつかしさと同時に何か大きな力を感じさせられる花。
最初に「霊」という言葉を使いましたけど、「精霊」だとしたら、それだけで受け取るイメージが変わりませんか。
私たちは、さまざまな思い込みと共にこの世の現実を感じています。できることなら、その思い込みを一つ一つ外していけたらいいな、フラットに。
ここまで執筆したら、「ニーズ」の言葉が浮かんできました。ひざ=ニーズ。
「自分のニーズを知ること」
身の丈に合った、人生の目的を明確に生きなさい、のメッセージでした。
※ 追記
古代蓮は東京の水元公園というところにみに行きました。
公園内で「アオサギ」に遭遇、かなりの至近距離。サギからのメッセージは「独立独歩」「マイペース」。
また、ビーバーかと思うような巨大ネズミ、北米原産だというマスクラットに遭遇。こちらは珍種、水元公園でもなかなか遭遇できない生き物なんだとか。目の前にあらわれてくれました。ネズミからのメッセージは「達成力」「適応力」だそうです。
参考 『アニマル・スピーク~自然の力を借りる』 テッド・アンドリューズ著