解放の嵐

解放の嵐だ。

 

日本中で解放の嵐が起きている。

 

私たちは今激動の時代に生きている。

 

私はこの手の話は好きではない。

 

国が変わるとか、時代が変わるとか、私が口にするとウソくさく感じられるから。

 

それでも今は解放の時だ。

 

解放 = 手放しの時。

 

これがクッキリと浮かんできた。

 

例えば「解除」という言葉、「削除」という言葉。

 

この言葉を自分に向けられたらどう感じるだろう。

 

「つながりを断たれた」「関係を切られた」「排除された」

 

そんな言葉が浮かばないだろうか。

 

実は、「解除」は「解放」の意味だ。

 

「削除」は「そこからは削られるけれどまた新たな居場所に到達する」という意味だ。いわば「再生」のチャンス。

 

私自身「解除」の文字にナーバスになっていた。

 

ところが。

 

「カルマの解除」という表現があるそうだ。

 

この言葉を見た途端に景色が変わった。

 

そっか、風を取り入れて生きればいいんだ。

 

風とは気象上の風ではない、追い風とか向かい風とか順風満帆とか、その手の状態をあらわす言葉ではないだろうか。

 

風と共に、風を取り入れて人生の帆を膨らませる。

 

「解除」とは、それまでの風を手放すという意味。過去の風だ。

 

「削除」とは、それまでの人生の契約をなきものにしてしまう、という意味。文字通り、「カルマの解除」だ。

 

私たちは「解除される側」ではなく、「解除していく側」なのだ、と。

 

カルマについては、あえてここでは説明はしない。

 

その人が、その人なりの解釈を持つ言葉だと思うから。

 

「カルマの解除」、一点の曇りもない青空。

 

なぜそれをネガティブなものとして受け止めていたのか。

 

「解除される」という受け身の人生を選んでいたからなのかもしれない。

 

私たちの人生の主はどこまで行っても自分自身。

 

自分が主であれば、解除も削除も、変身や前進の時だということがわかる。

 

その、「解除」「削除」のエネルギーが日本に満ち溢れている。

 

被害者、犠牲者としての自分を選ぶか、あくまでも「主」としての自分を選ぶか。

 

その選択は、「自由」。

 

だからこそ、真剣に、慎重に選んだ方がいい、自分の立ち位置を。

 

この、「解放」「手放し」の時を私は何よりも心待ちにしていた。

 

被支配者、という自分からの卒業のために。

 

ふと浮かんできたのは、「失望からの解放」。

 

「解除」「削除」は、「絶望」「失望」の機会にも、一方、「希望」のチャンスにもなり得る。

 

あえて、「絶望」「失望」を選ぶ意味はない。

 

私は「希望」と共に在りたいから。

 

古い契約から、新しい契約へ。

 

 

 

 

 

 

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