私はADHD。いわゆる多動性気質だ。
そのことに気づいたのは、二年ほど前だったろうか。
それまで自分が多動性気質だと思ったことはなく、そう、日常生活ではそれほど深刻な状態ではなかったから。
ただ、「多動性らしい」とわかった時は心底ホッとした。
気分屋で根性がないところは、それまで欠点だと思っていた。
多分、欠点なのだろう。が、それが「いけないモノ」という感覚は綺麗に消え去った。
脳がそうなら仕方ない。仕方ないのよ、だってそういう脳なんだから。
ただし、この脳は自然豊かなところに行くと「豊かな感受性」に転じてくれるらしい。
今、当サイト、ホーム・ページ自体をいじっている。私の内側から業務内容の変更指示がきたことと内なる自分の変化とで大変な騒ぎだ、私の脳。
それでなくてもアチコチに気分が向きやすいのに、まず頭で整理して、どう書いたら人に理解してもらえるのか、どう書いたらよりわかりやすくなるのか、この辺は本でいえば「編集者のテリトリー」だ。
私は編集経験もあるが、まったく向いていなかった。
そもそも細かい作業が苦手なんだから、編集なんてできっこない。
当時は多動性なんて言葉も知らなかった。「私は怠け者 ?」「私には整理能力がないの ?」「そもそも人より劣っているんじゃないの ?」、次から次に自己否定が生まれる。そのお蔭でチーフやディレクターと呼ばれる人とケンカになったりもした。
極めつけは、クビ !
生意気だ、の一言で私はクビを切られた。
私がいた業界なんて、ブラックじゃないところなんてほぼなかった。
当時の痛みが蘇る。
でもいいのよ、これが私なんだから。あの時のクビがあるから、今の作品が産まれた。
多動性、という言葉は今、私のお守りになっているみたいだ。
もちろんそれに自己統一化するのは何だけど。
多動性は治さなければいけない病なんだろうか。それとも大切な個性なんだろうか。
こんなにも苦手な作業に突入して、それでも書くことでヒーリングを求めている。
多動性の脳にだって本能はわかる。ハートの響きはわかる。むしろ多動性だから感じられることがある。
多様性の時代。
多動性はクリエイティブな作業では、かなりの強みを発揮できるという。
適材適所。
組織ならそれができるはずだ。
私はフリー・ランスなので、何もかも一人でやらなければいけないというハンデがある。
それを一つこえると、「多動性でもできたね」と自己肯定が進む。多動性でない人にはわからない歓びが味わえる。
う~ん、久々に頭をかきむしっての作業だ。
私には「書く」という力が与えられた。そのことをかみしめるための、ここ数日なのだろう。
産みの苦しみ。おそらく多動性はその苦しみが大きい。その反面、誕生の歓びが大きい。そしてその反面、喪失の痛みも大きい。
小さく、つつがなく、なんてまとまることができないのも多動性の大きな特徴だろう。
ここまで書いたら、脳が酸欠状態になってダウン。
ベッドの上で身体と脳を休めていると、子宮と卵巣がドクンドクンと波打っている。どうやら私の脳と子宮、卵巣は直結しているらしい。
そう言えば、偉人、偉大な芸術家には、てんかんや統合失調症などが多いと聞く。脳に何らかのトラブルがおきて、何かがスパークする。そんな時に、他人には理解しがたい理論や作品が浮かびあがってくるものなのかもしれない。その創造物は、きっとあちらの世界からの来客だ。
私の脳も、おそらくこちらの世界では「不適合」なのだろう。あらためて自分は変わっていると感じる。
これもまた自己肯定。
みんな一緒なんて誰が言い出したんだろう。言い出しっぺが一番苦しんだんじゃないだろうか。言い出しっぺもまた、社会の犠牲者なのかもしれない。
多動性というレッテルに偏見を込めるのではなく、人生をより深く味わえる勲章の一つなんだよ、と言ってあげられる大人になりたい。たとえ日本という社会のわくにおさまりきらなくても。むしろ、フィールドはひろい、という可能性のあらわれなんだから。
当エッセイを書いて気分が大分落ち着いた。多動性には、たてまえではなく、本音で自己表現できる場が必要なのだろう。その場がなければ、自分で創ればいい。見つければいい。
周りにいる大人たちは、その場を提供してあげればいい。
多動性にとって大切なのは美しい重箱なんかではない。