花とこころ通わせる。
そんな生活は可能だろうか。
ガーデニングを始めた時、そんなことは考えもしなかった。
結婚して、すぐ、主人が「野菜をつくろう」と言ってわが家のガーデニング生活は始まった。
最初に作ったのは、確かミニ・トマトとナス。プラスチックでできたいかにもチープ・シックなプランターに苗をいくつか。そのうち、花が咲いて、しばらくして収穫。
ちっちゃな野菜畑。主人は大満足だった。
「お花がいい」、そう言って、私はお花用コンテナを調達した。
マンションでのガーデニング生活は、土まで買わなくてはいけない事実に改めて驚きながら。
以来、わが家のお花は増える一方。途中に入った引っ越しの機会とマンションの大規模修繕で、なんとか定数維持にたどり着く。いつからか野菜畑は消滅した。
2019年7月1日。
わがベランダの花は、「ハイビスカス 2種類」、ペチュニア、サフィニアてんこ盛り、ダリア5個、白バラ2、黄色バラ1、ミニバラ10個、ツル性の花てんこ盛り、イソトマてんこ盛り、ひまわり2個、端っこのほうにナデシコ1個。
ひまわりは今まで植えたことはなかった。小ぶりだけれど3か月、トータルで100個花を咲かせるというセールス・トークにひかれて、人生初。ひまわりの花は何日もつんだろう、買ってから一週間ほど経ってもまだ元気なままだ。
植えたわけでもないのに一気に出てきたのはイソトマ。オリーブの樹の鉢に勝手に生えてきた。実際にはどこかの段階でこぼれ種が入ったのだろうけれど。
ナデシコはネットで数年前に買った寄せ植えの中から、なぜか一つだけ花を咲かせている。
これだけの花がいくつものプランターに分けられて植わっている。
どの花がいつ咲くのかわからない。
朝起きると、突然開いている花もある。
早咲きの花、遅咲きの花。
みにくいアヒルの子が突然白鳥になる時だってある。
この意外性がたまらない。
私たちの人生も同じかもしれない。
ということは、おそらく私は花たちとこころ通わせている。
人間から視たら意外性という名の必然を花たちが身をもって教えてくれている。
意外だからおもしろい。
その実、アレンジしているなにものかがいる。
花はいつでもその真っただ中にいて、なにものも干渉しない、なにものもコントロールしない、なにものもやっつけない。
たとえ、枯れてしまっても嘆かない。その命がどこかで次の生とつながっていることを確信しているから。
花たちのメッセージは「生と死の営み」。たった今、浮かんできた。
当エッセイ執筆中、愛猫・海・うみがパソコンにへばりついて、時々、私の手をペロペロ舐める。
その通りニャ。
海・うみと花はつながっている。
私は海・うみとつながっている。
だから、花ともこころ通わせることができる。
地球上の生物は、こうやって知らないうちにネット・ワークを築いている。
誰一人、どんな命を取っても孤立はあり得ない。
どんなに淋しくても、だから、大丈夫。