愛犬・華実とのお散歩。
足首をひねってから、ちょうど一週間。
華実はいつもぼぉっとしています。
その華実が、しっかりと意思をもって歩くのが、私がケガから治ってはじめてのお散歩の時です。
これには驚きました。
一か月ちょっと前、私は軽いぎっくり腰になりました。
その時は、回復後初のお散歩に際して、私が話しかけたのです、「私のペースで歩いてね」と。
その言葉通り、華実はお散歩の間、一度もヒキをしませんでした。私の歩幅に合わせるかのように、しっかりといつもよりゆっくり歩いてくれました。
昨日はあえて、何も話しかけなかったのです。
歩きだすと、華実のペースがいつもと違います。
一切リードを引っ張ろうとせず、慎重に一歩一歩を踏み出す感じ。私がのぞき込むと完ぺきなまでのアイ・コンタクト。
ちなみにわが家では、基本何もトレーニングしていないので、そういう行為はすべて華実の自主性によるものです。
犬猫ちゃんというのは、すべてを理解している、と言われるのですが、私たちがそれを認識できる機会はそれほどありません。
何かがあった時にそれがわかる。
わが家の場合、私がケガをすることによってそれに気づける。
ということは、前回のぎっくりも今回の足の捻挫も、私のこころが華実から離れて、華実とのコミュニケーションに自信が持てなくなっていたことを気づかせるために、何ものかがプレゼントしてくれた、ということにならないでしょうか。
大丈夫、僕はいつでもママの気持ちを理解しているから。
華実は、自分から意識的にコンタクトを取るコではありません。いわゆるアニマル・コミュニケーションは苦手なタイプ。
一方愛猫・海・うみは、私の意識にすぅっと溶け込ませるかのように、コミュニケーションが得意なコです。
それぞれ得意ジャンルの違いはハッキリとしています。
だからと言って華実がコミュニケーションそのものが不得意なわけではなく、もしかしたら私がキャッチできないだけなのかもしれません。華実に対して、何らかの自信のなさを投影してしまっているのかもしれませんね、私自身の不得意感と自信のなさです。
おととい、パソコンのプリンターが突然壊れました。それに対し、私は「ネットワーク」「コミュニケーション」という概念を感じ取ったとお話しました。「つながり」が変わるのではないか、と。
それを証明してくれるかのような、きのうの華実とのお散歩でした。
私の強みはコミュニケーション力であると同時に、強い不安があるのです、コミュニケーションに対して。私は他の人にくらべてつながりやすい、というメリットとそれに関する強い不安があるのです。すべて潜在意識でのお話。
前エッセイで「今の私は何の不安を抱えているんだろう」と自分に問いかけています。
その答えがこれ ?
潜在意識と顕在意識がつながり始めているんでしょうか。
足のケガがなかったら。華実がいなかったら。この展開は生まれませんでした。
足のケガも、華実の存在も、私にとってなくてはならないものだということがわかりました。
ケガや病気はあちらからのGiftです。
なかなかそうは思えないことも多いのですが、今回はしっかりそのことを認識することができました。
足のケガ完治のサインが今、訪れてくれたのですね。