花に元気をもらう。
これはホントだ。ベランダに花がいるだけで元気になる。
花は、人間を喜ばせようとか、応援しようとか、そんなことは思っていない。
ただただそこにいるだけ。
それでも私たち人間が元気づけられるのは、彼らの放つ生命力のせいなのか、それとも過去、自分が花だったという記憶でもあるのだろうか。花は人間には生まれ変わらない。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
そういうことを想い出すと、脳がフル回転になる。
わがベランダ、今朝はハイビスカスが3個咲いている。きのうは4個だった。
リビングの窓のカーテンを開いた途端、ハイビスカスが目に飛び込んでくる。
これだけで、かなりのパワー・チャージ。
梅雨時はジメジメして時に気分が滅入るけれど、私はベランダの花たちに相当助けられている。
ツル性の、濃いピンクの花は毎日たくさんの花を咲かせてくれるし、ペチュニアの類も色とりどり。
鉢の植え替えをしたオリーブは、見事なまでに再生してくれている。オリーブの鉢から、なぜかイソトマの花が咲いている。
何が何だかわからない状態の無秩序が楽しい。
けれど、おそらく、本当は彼らの配置一つ、完ぺきな秩序のもとに考えられているのだろうけれど。
主人に言わせると、わがベランダはいい庭だそうだ。そして小宇宙なんだそうだ。
主人がどこまで宇宙を理解しているかは別にして、確かにさまざまな生命の息吹きがそこにある。
その中で、花は花形だ。
葉のそれより、目鼻立ちがハッキリしている。葉は花の美しさを際立たせるためにひっそりとそこにいる。彼ら自身がそれを意識しているかはわからないけれど。
花のメッセージはなんだろう。
私たち人間も、そこに在るだけで人に力を与える、本来そういう存在なんだよ、ということなんだろうか。
誰かのために。人のために。何かのために。社会のために。国のために。世界のために。未来のために。
そういう大義名分を必要とし始めたのは、いつからなんだろう。
人間が自然の一部であることを忘れ始めたその時なんだろうか。
私たちは、ただそこに在るだけで光の存在だ。
それを忘れていようと覚えていようと。
毎日、新たな花を咲かせてくれるハイビスカスがそれを教えてくれた。
彼らは無口だけれど多くを語る。
だから楽しい。彼らとの共存生活。
※ 追記
久々に「ですます」を外しました。
パソコンのプリンターが突然壊れました。
ネット・ワーク ?
コミュニケーション ?
その辺の言葉が思い浮かびます。
つながり、が変わる時なんだ、と。
昨日はほとんど眠れず、頭がボォ~っとしています。
それでも、なぜか書きたくなりました。
愛犬・華実と愛猫・海・うみ。
あいも変わらずまったぁりな時間。