瞑想時に、左の頭の方に桜が咲きました。正しくは行為としての瞑想ではなく、瞑想状態に入っていて、なのですが、以下瞑想でお話を続けます。
私の瞑想習慣は、呼吸法メイン。椅子に座って行うカジュアル瞑想なので、何かにつながろうとか祈りをこめて、とかその手の意識はありません。まったく「無」になれるか、というとその辺も危うく。
時々、うまくいくと、ふっと何かにつながったような、一瞬「空」になったようなそんなこともありますが、ほとんどはただの呼吸法で終わります。それでも自己肯定を感じるのには有効らしく、そこそこそれなりの効果は感じられるもの。
今朝は、珍しく一瞬ビジョンというか、左頭の方に桜が咲いたのです。
この手のビジョンは、禅の世界では否定されているもののようです。普段私はほとんどビジョンを視ることはありません。
本当に一瞬。
桜だ、と思った次の瞬間、右の頭にオリーブの樹。
何なんでしょうね、これらの意味するものは。
桜の意味するもの。死と再生、覚醒。ちなみにピンクは、女性性の色。
オリーブの意味するもの。以前の当エッセイでこんなお話をしていました。
「平和」「幸せ」「再生」、さらに「邪気を払う」という意味がみつかりました。また、光を好む性質から、「あなたの道を照らす」という意味もあるんだそうです。しかも、「才能の開花」というメッセージもあって、芸術家にとってはありがたくて頼もしいパートナーなんだとか。
ピンクとオリーブ色。ほとんど補色と考えてもいいのではないでしょうか。
オリーブ色には、ハートの女性性、という意味もあるようですよ。
ピンクももちろん、ハートの色を意味することもあるんですが、肉体的に女性臓器、性器などをあらわす色だとする説もあるんです。
どちらも、「女性性」に関係しているところが、ポイントなのかもしれませんね。
桜に関しては、ここ数日、愛犬・華実とのお散歩時にご近所の桜林に通っていて、きのうもあまりにも緑が綺麗で、風に吹かれながら、かなり幸せ気分に浸っていました。
その時は「緑」の印象が強く、ちなみに「グリーン」の意味するものは、成長、癒やし、豊かさだそうです。
いずれにしても、吉報であることは期待できるみたい。
そう言えば、瞑想時に、背中の上部から何かがサラサラと流れ出す感覚がありました。背中の上部は愛上面での安全性に関わるという考え方があります。それに対する不安や恐怖が流れ出した、ということなのでしょうか。
こんな風に瞑想時には身体との対話も心との対話も楽しむことができます。ということは「無」にはなっていないということなのかもしれませんね。
真実の瞑想がなんであるか、ということは私の場合、あまり関係ありません。
自分が納得できればそれが自分にとってのベストだと感じているからです。
きょうの瞑想は、いつもとは異なる感じでしたが、それはそれで楽しかったので、私的にはヨシ、です。
もっとも瞑想に良いも悪いもないんですけれど。
なぁんちゃって瞑想歴10年くらい。
今思うと、なんですが、私の場合、真剣に取り組まないところがいいんだろうな、と感じています。
ただの趣味、なので。
※ 追記
参考 『アニマルスピーク~自然の力を借りる』 テッド・アンドリューズ著