わんこのごはん。
世間的に「グレインフリー」が良いフード、という流れがあるようで、その意識は私の中にも流れ込んでいたようようすです。
愛犬・華実。去年の今頃のこと。華実もそろそろ13歳だし、フードとか見直した方がいいのかしら、と思った時に、偶然、あるフードの広告が目にとまりました。
早速試してみたら。
うんこちゃんが大変なことに。
華実は、若犬の頃、1年弱、完全手作りごはんを食べていました。当時愛猫・海・かいがいて、海・かいは克服できたものの心臓病の経験があったため、大事をとって完全手作りごはんにしていたのです。華実もそのおこぼれで手作りごはん。
そのうち、海・かいの調子が良くなって、トッピングごはん、カリカリや缶詰にお肉やお魚、お野菜をトッピングするごはんです、それでも平気かな、と思って試していたら、完全手作りごはん時代と変わらない元気っぷり。
以来、わが家は犬猫共にトッピングごはんに変わりました。
華実は12年くらい、トッピングごはん生活です。グレインフリーではなく。もしかしてお腹がそれで定着しちゃったんでしょうか。
なんでも食べられる華実。何を食べてもお腹を壊すこともほとんどない華実。
その華実の腸内細菌が乱れてしまった ?
もしかしたら、試したフードだけかも。そう思い、それから5種類ほどグレインフリーを試しました。
結果、全滅。すべてのフードでうんこちゃんが大変なことに。
その後、フードを元に戻しました。グレインの入ったごはんです。
お腹は元通りに戻り、うんこちゃんも絶好調。
たまたま、なのかもしれませんけど、華実には「グレインフリー」は合わなかったみたい。
体質はそれぞれですものね。その時に、華実はおそらく一生今のごはんとほぼ同じものを食べ続けるんだろうな、と感じました。シニアだから、という世の常識は、華実には関係ないのかもしれません。
獣医さんなどでグレインフリーにお高いサプリをすすめる場合があるようです。フードにサプリ、という考え方は欧米、特に北米の考え方です。
それで飼い主さんとわんこが幸せならもちろん、それはそれで素晴らしいこと。
が、フードにサプリって、私たちの感じる本来のごはんの形から少し離れている気がするのは私だけでしょうか。
それもそのはず。元々サプリメントを常用する、という考え方は、人間の健康観にならったものです。その大元は、おそらく北米のメガビタミン療法。人間と動物君は、同じ哺乳類でも、エネルギー構造も違うし、脳や消化のメカニズムも異なると言われています。
もしもグレインフードとサプリ、という食事で、具合が今一つ、という場合は、そんなところが引っ掛かっているのかもしれませんね。具合が良い場合は、それが適切だ、というサインです。
大切な家族。
そう、大切だからこそ、動物君の人間化にならないように気を付けたいもの。体系化、ではなく、個。その個体、そのコを視る。ついつい、家族だから、という想いが彼らの本能や特性を見落としがちになる傾向は否めません。私自身の反省を含めて。
どんなごはんでも答えを出すのはわんこの心と身体。獣医さんの言うことも、ショップさんの言うことも私のような立場の人たちが言うことも鵜呑みにしないで、わんこと相談し合いながら、ベストのごはんを探っていく、というのがちょうどよいのかもしれません。
世の中には、解明されていないことがたくさんあります。常識と思える情報でも、100%ということはありません。まだまだこれから新たな事実が解き明かされていく可能性が秘められています、どんなものでも。
情報は、使える、使えないで判断するだけではなく、使えないと思えるものでもそこからヒントを見つけ出して、自分流アイディアを生み出すための素材として活用できるものです。今は、情報は山のようにありますから、ヒントは数知れなくある、ということ。それをどう活かすかは、私たち次第ということなのかもしれませんね。
一つ言えることは、グレインフリーと言う考え方は、正解でもあり、時にまちがいにもなる、ということではないでしょうか。
グレインフリーを与えないで、というお話ではないです。
グレインフリーという考え方は選択肢の一つであると同時に、マスト・アイテムではないということ。サプリメントも同じ。与えてはいけない、というのではなく、まずは与える、与えないの判断、そして与えるのなら適切に。なんでもかんでも人間と同じということはないはずですから。
わが家の場合、私がアバウトなせいか、華実もアバウトなイージーごはんが身体に合うみたいで、とても助かっています。ご縁というか、相性というか。
華実仕様は、今のところ私にしか作れないという自負も少しあったりして。
犬猫ちゃんのごはん。私は結果オーライだと思っています。
何を食べようと、そのコと飼い主さんが幸せなら何も問題なし。
もしもその幸せが崩れた時は、私たちは謙虚になる時。
動物君には動物君の生き方があり、食生活があります。可能な限りその個性を尊重する。
犬というものはこうだから。
猫というものはこうだから。
犬猫ごはんというものはこうだから。
シニア犬猫ごはんというものはこうだから。
その縛りを極力外して新たな価値を創造していく、自分自身の意識で。
それがパートナーである私たちのお役目なのかもしれません。
逆に言うと、私たちの縛りを解いて創造性を存分に引き出すために動物君が一緒に暮らしてくれているのかもしれません。
華実の腸内細菌の乱れは、「今のごはんがちょうどいいんだから、頭でいろいろ考えないで楽しく作ってよ」というメッセージのような気がします。
迷いの払拭、でしょうか。
※ 追記
当エッセイは、執筆2019/06/12ですが、どうしてもアップできずにいました。
本日6月15日に最後まで書ききってわかりました。
これからは個性化の時代。
当エッセイの内容は、私の著書に書かれた内容と異なるところが多々あります。
私自身の「個」の時代。
共鳴してくれる人の「個」の時代。
みんなさまざまな色や形を以て、それぞれがそれぞれの花を咲かせる時代。
それぞれの花が、支え合い、助け合い、より優しくたくましく寄り添いつつ生きる時代。
誰かの言った、一見正解より、自分のハートが教えてくれた事実の方が自分にとってはずっと価値のあるものだと言える時代。
やっと過渡期が過ぎました。
そう言えば、ここのところ華実とのお散歩で、今年14歳組のわんこに出逢うことが少なくありません。みんなどこかしら身体に不具合が出始めているみたい。
ありがたいことに、華実は病気らしい病気一つせず、今にいたっています。
自信をもって、のメッセージですね、きっと。
最後のこの気づきのために、当エッセイアップまで数日間の猶予が必要だったということなのでしょう。
「大丈夫だよ。すべてYes !」