ここ、2週間弱のことです、私が呼吸への意識を変えたのは。
元々ヨーガ、太極拳、ピラティスなど、呼吸法を意識したエクササイズを生活に取り入れてきたので、一時はかなり上手に呼吸ができていました。
ところがここ半年くらいでしょうか、できていたはずの鼻呼吸による腹式呼吸ができにくくなり、横になって呼吸をしようとすると鼻づまりが起きて大変なことに。
ヨーガのレッスン中も鼻呼吸は無理、開口呼吸でなんとか呼吸を続けるという状態が起きていました。
深呼吸自体、自然な呼吸ではありません。それが鼻づまりによって息がつまるとなると、もう不自然極まりない呼吸ということが言えます。
そう、息がスムーズに流れないということ。息をする = 生きる、ということから、どうやら私は生きることを放棄してしまったらしいことに気づいたのです、潜在意識の部分ですね。
これはまずい、と呼吸法の本を買い、日常的に生活に取り入れていた「瞑想習慣」を「呼吸習慣」に切り替えました。
具体的には、座った形での瞑想状態の代わりに、深呼吸、あるいはただ息に意識を寄せるという呼吸を続けました。
やっと鼻づまりがなくなり、普段の呼吸も自然に鼻呼吸ができるようになりました。エクササイズ時の腹式呼吸も問題なく。
途中、鼻づまりのひどい時は、一時期的に耳管閉塞状態にも陥っていたように感じます。これはストレスが原因です。
さて、きょうの息の感じ。私は元々ノドのチャクラが歪んでいるようで、チャクラとはヨーガの伝統によることろのエネルギー・センターのようなもの、ノドはコミュニケーションに関わるチャクラと言われ、まずいまずい状態です。ところがきょうはノドのチャクラもスムーズにエネルギーが流れている感じ。もちろん呼吸も、鼻呼吸による腹式呼吸、なんなくできています。
鼻づまりの時は、肺の状態も悪いらしく、結果的に肺につまっていただろうネガティブなエネルギーも流れて行ってくれたようです。肺に詰まりやすいのは「悲壮感」。知らないうちに「悲愴」なエネルギーがたまっていたということです。知らないうちに。なんて曲者なんでしょう。
こうやって考えていくと、たかたが鼻づまりでも、身体からのメッセージはかなり複合的です。
鼻づまりの薬を飲んで、はい、おしまい、ではもったいないくらい、さまざまな活用法があるということですね。
呼吸は、生きる意欲そのものに直結しています。逆に言うと、息が上手にできないということは生きづらさの象徴でもあるので、ここは面倒くさくても、真剣に、優しく、丁寧に呼吸器官に耳を傾けた方がよい、ということなのではないでしょうか。
私たちは、症状 = いけないモノとしての刷り込みがなされていますから、ついつい症状を消すことだけにこころが奪われがち。
症状は、その先の自分へのプレゼントに過ぎません。真摯に向き合えば、必ず自分に力を与えてくれます。症状 = 敵、ではないのですよね、まちがいなく。
一般的に女性は男性に比べて、呼吸が浅い。
抑圧感情がより多いから。
呼吸が浅いと、結果的に免疫力が下がります。するとストレスにも弱くなって、どんどんストレスがたまりやすくなります。
呼吸が浅い、という現実は、悪いことでもなんでもありません。まずその事実を受け容れて、どうしたら呼吸をよりスムーズにすることができるか、どうしたら息とより仲良くできるか、そんな考え方をしていくといいかもしれません。
私の鼻づまりがひどかった時には、愛犬・華実が私のそばで寝ている時にいびきが強くなりました。彼はそうやって、私の痛みを一部引き受けてくれていたのです。
私たちの意識の影響は、無意識のうちに一緒に住んでいる動物や家族、特に小さいお子さんなどに、何らかの形で出やすくなります。
エネルギーはつながっています。お互いにお互いの良い影響も悪い影響も受け合いながら生きています。
決して私たちは一人で生きているわけではありません。呼吸がそれを私に再認識させてくれました。
私たちはだてに家族をやっているわけではないのです。家族に起きているトラブルは、同時に自分自身のトラブルでもあるということ。
なかなかそうは認められないところですが、認めてしまうとスッキリすることが少なくありません。
意識のもちよう、その習慣。ちょっと今までより気にするだけでいいんじゃないでしょうか。
まず、現実を受け容れる。そこから、ですね。
現代人はたいていの場合、呼吸が浅くなっていると言われています。その要因はストレス。ストレスも悪いものではないので、きちんと自分のこころに寄り添っていく習慣づけをしたいもの。
自分のこころから目を離さない。
すごく大切なこと。シンプルなのに、むずかしい。