悲観から楽観へ。
まちがいないようです。
愛犬・華実とのお散歩から帰ってきて、少し疲れたので身体を横にして休めていました。
そこで深呼吸。するとまたも鼻づまり、突然、です。
鼻づまりに意識を傾けてみたら、「休んでいいんだよ」というメッセージが浮かびあがってきました。
言葉が聴こえるのではなく、なんとなくイメージ的なものがすぅっと浮かびあがってきます。
その次に、「怠けてもいいんだよ」「自分を甘やかしてもいいんだよ」と。
なるほど。私は身体を横にして休めることを「怠けること」と認識していて、怠けることはいけないこと、とも感じていたようです。
私は、小さい頃から肝臓が弱いと言われ、けれどこれと言ってそれらしき症状はないまま、今にいたっています。
沈黙の臓器、ですものね、症状はなかなかあらわれない。
確かに以前はそれなりに疲れやすかった。肝臓が弱いと疲れやすくなる、と言われています。
疲れる。これは憑かれる、でもあって、さまざまなエネルギーの影響を受けやすいタイプだとも言われたことがあります。
そう、私はエネルギー的に敏感です。一見良いと言われるエネルギーも、一見悪いと言われるエネルギーもどちらもビンビンに感じてしまいます。
ということは、疲れやすくてあたり前。
それなのに「疲れることはいけない」と感じ、さらに「身体を休めることは怠けることだから良くないこと」と捉えていた。
身体を休めるたびに「ほら、また怠けてダメじゃない」ともう一人の私が、無意識のうちに責め続けていたのでしょう。
そもそも人よりエネルギーを感じやすいので、疲れやすいのはあたりまえ。
疲れたら身体を休めるのがあたりまえ。
それを「いけない」とずぅっと思っていた。
だから、身体を横にした時だけ、鼻づまりが起こる。
華実のお散歩時に、二回ほど足をねじりました。捻挫にはなっていません、ただグキっと足首が曲がる感じです。
何だろう、珍しいな、と感じました。
そう、私はケガをしても身体を休めてはいけないと思っていて、先日のぎっくりの時も身体を休める自分を責めていたのですね。
それに気づかない限り、何かケガをさせて無理やり休む状況に追い込む。どうやら、それがあちらの戦略のようです。
幸い、きょう気づけた、あ、休んでいいんだ、怠けてもいいんだ、自分を甘やかしてもいいんだ、と。
この意識の解放、どう考えても楽観、ではないですか。
悲観モード優位の時だったら、またもケガを招き寄せてしまったのかもしれません。
ふぅ。
休んでもいいんですよ、怠けてもいいんです。
疲れた時は、ちゃんと身体を休ませてあげる。
私たち自身がそうしてあげないと、身体は休めないんですもの。
潜在意識の力、おそるべし、です。もっと自分の深層心理に耳を傾けてあげないと。
自分の声を聴いてあげないと。自分自身の声。