きのう、きょう、と一人でお散歩。
ぎっくり腰の痛みはほとんどなくなっていますが、大事を取って愛犬・華実は家でお留守番していてもらうことに。
サクサクと歩けます、肉体はかなり整いつつあるようです。
歩いていて気づいたのは、私は愛犬とのお散歩時でさえ、それなりにストレスを感じている、という事実です。
歩きたいから。
自分が気持ちいいから。
そういう気持ちでいたはずなのに、実は、「華実のため」という大義名分を勝手に創りあげていた様子です。
「誰かのため」「何かのため」、このうっとおしい性格は生まれついてのもの。
実際、私は何かにつけて大義名分を探していることにも気づきました。
例えば、スポーツ・クラブに行く時には、「身体にいいから」とか。
本を読んでいる時には、「何かヒントが欲しいから」とか。
純粋にそれをしたいとハートが感じているから、というのは残念ながらなかったみたい。
つくづく「解放」の下手な魂なんだな、と。
でも、このことに今、気づけたのは、すごいことなんじゃないかと。
何かをする時に「大義名分」を求めているという事実を認識すればいいんですものね。
「あ、今、私はハートではなく脳の指令によって動いている」と。
それが習慣化すると、そのうちハート優位の生き方に変わるような気がします。
今まではそのことにさえ気づいていなかった。
ぎっくり腰になったお蔭です。
きょうは、ご近所のばら園をはしごしました。数日みないうちに、薔薇は半枯れ状態。
それでも、今年は割と長もちしたような気がします。
バラって5月の花なんですよね。
ここ数年は、5月半ばくらいで花期は終わっていました。
今年はほんの少しだけど、花期はのびています。
そういう、ちょっとしたことも、気づかなければ見過ごしてしまう。
気づけただけで、なんとなく得した気分です。
わが家のベランダのピンクのミニ・バラはものすごい勢いでお花が咲き始め、まだまだ蕾もいっぱい。もうしばらく楽しめそう。
大きめのバラは、二つ目の黄色い花が開き始め、さらに4個くらいは蕾があります。全部咲いてくれるかはわからないけれど。
一人でお散歩できたお蔭で、こころに余裕が生まれたみたい。
何かの強迫観念、一つ解放できたみたいです。
いつもの習慣を手放してみる。すると、何か新しいものが視えてくる。ちょっとしたこと。
けれどたいていの場合、私たちは握りしめる癖があるので、新たな来訪者の出番を遮ってしまっているようです。
ハートにスペース。
このメッセージをくれたのは、薔薇なんでしょうか。
それとも華実、かな。
これからは、自分のため、のお散歩時間も創ろうと思います。