ぎっくり腰がくれたプレゼント 3

ぎっくり腰改善「ライブ」レポートになってしまいました。

 

当エッセイには改善に向かう「+」のエネルギーが入っていますよ。

 

さて、ぎっくり腰になってしまい、真っ先にセルフでのヒーリングをしました。

 

「効かない」

 

私のヒーリングは自分で言うのもなんですが、クライアントさまに対してはかなり効果的。たいていの症状は改善します。犬猫ちゃんなど、かなり重篤な場合でも、様子が一変します。

 

なぜなんだろう、自分に効かないなんて。

 

すぐにメッセージが浮かびあがってきました。

 

私はそうやっていつも自分のことは後回し。人のことだけ考えていると。

 

これ、以前からの自分の課題でした。もう統合できているだろうと思ったのですが、まだだったのです。

 

そのことに気づけたのはLuckyでした。

 

自分のことは後回し、というのは一見、「良い人」のように感じるかもしれませんが、その実、適切な自己愛が育まれていなかった、ということなのです。

 

そこをクリアしたところで、さらなる概念が浮かんできました。

 

自分にヒーリングをする時は、「エゴ」が作用します。今回は痛みの中なので、「早く治したいな」というエゴが強烈に働いたのです。

 

他の人にヒーリングをする時は、私は一切、「治りますように」という意識を働かせません。ただ光とつながって、その光をクライアントさまにつなぐ。そのことに徹します。

 

この違いです、「効く」「効かない」の違いがあらわれたのは。

 

その後で、私はできるだけ痛みや患部のことを忘れ、ただ光とつながるそのことに意識を集中しました。

 

すると。

 

なんと、痛みは緩和していました。ヒーリングがきちんと起きたということです。

 

このことがわかったのも、私にとっては大きなプレゼントです。

 

ヒーラーさんによっては、クライアントさまの患部、痛みにフォーカスして、「治りますように」という意識と共にヒーリング・エネルギーを送る場合もあるようです。

 

ヒーリング・システムの違いなのかもしれませんが、私は、最初からこのスタイルです。

 

「治る」というのは、結果的にもたらされる効果であって、ヒーラーが関与できるものではない、というのが私の考え方です。ヒーラーは治療師ではない、ただ光を通し、つなげ、その結果はクライアントさまと大いなる存在に任せる、光の導管だ、と捉えています。

 

もちろん、考え方の異なるヒーラーさんを批判しているわけではなく、私の場合はその方がうまくいく、と直感的に感じているからなのかもしれません。実際、今までそのスタイルで結果が出なかったことはありません。

 

そのことの証明が自分自身の痛みでなされました。

 

ぎっくり腰のお蔭で、自分の意識の課題がわかり、さらにヒーリングにおける自分のスタンスが再確認できました。

 

今まで関節痛のクライアントさまへの施術経験はありますが、ぎっくり腰も実績として加えられるようになりそうな気がしています。

 

自分で体験してわかりました。

 

ぎっくり腰というのは、軽症でも不具合感は相当なもの。私の場合、きょうの夕方ごろまでは、トイレに入るのも、キッチンに立つのも、ソックスをはくのも大変なくらいでした。

 

それが、今は、痛みがすでに場所を移動しはじめています。下に下がっているのです。もちろん、「良くなりました」というほどではありませんが、治りつつあることを認識できるレベルです。

 

これをヒーリング・セッションで再現できたら、クライアントさま自身もずいぶんと気が楽になるのではないでしょうか。

 

確実に、というお約束はできません。可能性として、ですけれど、そうなればこころが楽になって、その後自然治癒力がより働きやすくなることは十分にあり得ます。

 

私のぎっくり腰は、まちがいなく私自身のヒーリングの可能性を拡げてくれたみたいですね。

 

前、前々エッセイでもお伝えしていますが、執筆中は一切痛みが生じません。

 

 

 

 

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