おもしろい話を見つけました。
この大地は、「豊穣神」と「不毛神」、どちらともつながることができる、というものです。
マザー・アース、地球は、豊穣のシンボル、そこから母性、女性性、時に女神の象徴とされている、というお話を何回かしてきました。
ところが。
豊かさ、だけではなく、時に不毛をもたらすこともある、というのです。
母性の宿る意識エネルギー、それを「地母神」と呼んだりもします。
少し視方を変えると「地母神」は豊穣をもたらすもの。同時に不毛をもたらすものでもあるということです。
コインには必ず裏と表がありますね。どちらが良いとか、どちらが優れている、とかはありません。裏と表は、視方によっては表と裏になることもあるかもしれません。そして、その一対で「コイン」というものが存在します。表だけのコイン、裏だけのコインは成立しません。
光と影も同じ。光があるから影ができる。影があるから光を認識できる。
ところが私たちは、その一方だけを取り上げて、その、光の多い方のみを「ヨシ」とする思考習慣が身についています。
地母神 = 豊穣の象徴、というとらえ方もまさしくです。そっか、同時に不毛もあるんだ、と再認識をすることができました。当然と言えば当然、なのに、なぜか不毛はいけないこととして意識の外に追いやっていたようです。
豊穣と不毛があって、真の豊穣を知ることができるのですね。
私たちの命には「生と死」があります。もしかしたら「死と生」かもしれません。新たなものが誕生することは嬉しいのに、なぜか死は忌むべきもの、と捉えていることが少なくありません。
どちらもがあるからこそ、生の歓びがより輝きだすのではないでしょうか。
豊穣と不毛。私は不毛を追いやっていたところがあるので、しっかりと感じきりました、不毛に居場所を与えられるように。
すると豊穣と不毛のバランスが良い塩梅に近づいてくれます。抑圧された不毛エネルギーの暴走をくい止めることができて、何かあった時にも、必要以上に強い「不毛」エネルギーが働くことはなくなるかもしれません。
こんな風に意識は、両極のどちらもを同等に感じることで、本来の力を発揮しやすくなる、という考え方があるのです。
さて、不毛ちゃん、ご機嫌は治ったかしら。
すべて自分の中に存在している概念、意識、ですものね。
一見、「闇」「ネガティブ」と思えるものにこそ意識を向けることで、私たちの意識バランスが調和に近づくと言われています。最初はしっくりこなかったこんな考え方に今はすっかりはまってしまって。
これを「自己統合」と呼びます。バラバラになった自分のパーツをかき集めることで、本来の自分自身により近づいていく、という考え方です。
これは自分自身にしかできないこと。やり方を教わることはできても、自分がやらなければ統合は進みません。ツールを使ってサクサクッとできればいいんですけど、実際それは無理なこと。だからこそ、やりがいがある、とも言えるかもしれません。
これをすれば一瞬でこんな風に変われます、という便利な手法は、実はその効果は一瞬、じゃないかと、私の経験はそう語っています。私には、ということかもしれませんけど。
なるほど、一見不毛と思えることでも、コツコツと積み上げていくことで、必ず実りはやってくるんだよ、というメッセージもあるのかもしれませんね。