「感謝病」
さすが、うまいことを言うな、と感じました。
日本でのユング派第一人者とされる「河合隼雄」さん(以下 敬称略)のご著書にあった言葉です。
・感謝というのは、こころの強い人にしかできない。
・不必要にありがたいを繰り返したり、不相応な贈り物をもって感謝の意をあらわしたりする人は、感謝の拒否と同等のことがこころの中に生じていると捉えていいだろう。
・感謝、感謝と「感謝病」にかかっている人は、あまり強くない。
・感謝のこころはそれほどギラギラと外に出てくるものではない。
というような主旨のお話が書かれていました。引用ではなく、私の解釈です。もちろん、こころの強い人がよくて、こころの弱い人はよくない、という意味のお話ではありません。心理学の専門家として顕在意識と潜在意識の関係性を解き明かしているだけのお話です。
個人的に、妙にしっくりきました、ストンと腑に落ちた感じです。
私自身、感謝、という言葉を多用していた時期があります。当時は「感謝することこそ素晴らしい」と唱える人たちの説に共鳴していたからです。
ところが実際、自分に対して「感謝」を連発してくる人に違和感を感じるケースが出てきました。
私がへそ曲がりなのかな、とも感じていましたけど、何かがしっくりこない、ぴんと来ないんです。
メールに必ず「感謝」と書いてくる人。「ありがとうございます !」といつも「!」マークがついている人。さらにかなり頻繁に贈り物を送ってくる人などなど。
う~ん、何か無理していませんか、とこころの中でずぅっと感じていました。
私自身「ありがとうございます」も「感謝」も嫌いではないのに、何か違うものを感じていたんですね、きっと。
その正体は、こころの弱さからくる過度の感謝体質。
感謝、やありがとう、を絶対視することで、自分のこころの弱さから目を背けようとしていたのかもしれません。
いってみれば、「感謝」の神格化。
「感謝」「ありがとうございます」を前面に出しておけば、たいていのことはうまくいく、という読み、でしょうか。
そういうことが私自身の中にあったんだな、と。いゃあ、そうですか、さすがです、と感じてしまいました。
私自身、本当にありがたいな、と感じた時の「感謝」はちょっと違うと感じるようになりました。
社交辞令の「ありがとうございます」ではない、深いところからジワ~と浮かびくる感じです。
あの、じわじわ感は、もしかしたら、私の心が少しだけ強くなったことのあらわれだったんでしょうか。
人は変われますね。
「感謝病」がいけないのではなく、「感謝病」という傾向があることを受け容れることで、少しだけ自分のこころに近づけるということです。
あぁ、今の私は感謝病だ。何か不安があるのかしら。と自分自身を顧みるきっかけにつながります。
あれ ? 最近の私、感謝病の傾向が和らいでる。自信がついてきたのかしら。こころが安定しつつあるのかもしれないわ。と自分の変化に歓びを見出したり。
〇〇病、とつくと無意識のうちに不快感を感じるのは「病」がいけないものだという刷り込みがあるからです。
本来、「病」は良いものでも悪いものでもなく、その傾向に何らかの特徴づけのネーミングをしたものに過ぎません。
「感謝病」がいやなら、「感謝体質」「感謝気質」と考えれば、それほど違和感は感じなくなるのではないでしょうか。
そういう、拡がり感を感じられるのも深層心理学の一つの魅力かもしれませんね。
私はユング理論を専門的に学んだことはありません。ただ、ふとしたきっかけで、何かがハートに響き、気が付いてみたら、河合隼雄の本は三冊読んでいました。
今回、読んだのは、『こころの処方箋』という本です。個人的に、自己啓発本はあまり得意ではないジャンルですが、この本は今の私にはいい感じに響きます。
そう言えば、去年、グアムに行ったときも河合隼雄の『影の現象学』という本だけを読んでいました。
ユングをオカルティストとして、バカにする考え方もあるようです。
私は、「人間の無意識の中には闇だけではなく光もあり、悪だけではなく善もある」というユングの「真ん中」に共感しまくりなので、オカルティスト云々は気になりません。
人の感じ方はそれぞれですものね。
影や悪に光を当てること、それが自己実現の道につながると、そんな考え方を取り入れられるようになったのも、少しだけ私のハート力が強くなった証なのかも、と、ここにいたる道を振り返って、感慨深い想いになりました。
じわじわ、じわじわ。
『感謝のこころはそれほどギラギラと外に出てくるものではない』
※ 追記
心理学にもいろいろな傾向があります、ユング理論がすべてではありません。
この本は1991年に刊行されたものらしく、私はつい最近この本の存在を知ったばかりです。そんな「昔」のものをあえて読んでみようという気になったのですから、私にはユング理論はあっているのでしょう。
ちなみに私は2007年に『ハッピー・ペットロス~哀しみを幸せに変える、心の処方箋』という本を上梓させてもらっています。
その時には心理学の「し」の字も知らなかったのに、無謀と言えば無謀。必然と言えば必然、なのでしょうか。
まぁ、無謀が勝ってるかな。
たった今、この偶然に気づいたばかり。