ご近所のばら園でばらの匂いを嗅ぎまくってきました。
ばら園と言っても、私が勝手にそう呼んでいるだけ。たくさんのばらが植わっているところが二か所あるんです、家のすぐ近くに。
そこに紛れ込むようにして、そっと匂いを嗅ぎまくり。
両方とも個人の方の敷地ではありませんので、不法侵入ではないですよ。
一口に「薔薇」と言ってもみんなそれぞれ個性があって、当然香りもそれなりに変わってきます。
この花はいい匂いだな、と感じたのは、濃いピンクとローズ系のお花。
逆に、白とか真っ赤とか、私の鼻には匂いは届かないものもあります。
もしかしたら、それも相性なのかもしれませんね。匂いが感じられないのは、私の方。その匂いがキャッチできないだけ。匂いがない、ということではないのでしょうから。
芳香浴と言うと、アロマでの捉え方が一般的。私はアロマには疎く、ほんの時々、近くのアロマショップで、肌に直接塗ることができるアロマオイルを買う程度です。
今、あるのは、ちょうど薔薇のエッセンス・オイル。意識して買ったわけではないので、オイルちゃんが私にささやきかけてくれたのかもしれません。
ばら園で匂いを嗅いでいると、ゼブラカラーのアゲハ蝶がしつこくアプローチしてきます。
一説によるとゼブラカラーのアゲハ蝶は、ウリエル大天使意識のあらわれなんだとか。天使系苦手な人は適当にとらえてください。そのウリエル大天使には、自然を司る役割があると、先日お話したことがあります。
頭の真ん前で旋回しまくっていたので、アゲハ蝶ちゃんなりのご挨拶だったのかもしれません。ちなみに蝶からのメッセージは「変容」とか「舞う歓び」です。蝶は私たちの人生に彩りと歓びを運んできてくれると言います。
彩り。ばらの色はそれぞれです、色とりどりです。人生の歓びも色とりどり、の意味なのかもしれません。
ばらの意味するものに「愛」「沈黙の力」「情熱」があるともお話しましたね。
ふと感じたのは、愛とはものすごい寡黙なものなんじゃないかな、ということ。
愛とはこうあるもの、こうあるべき、とさまざまなところでさまざまな人たちが愛の伝道師として、愛を語っています。それはそれでとても素敵なことです。
もしかしたら、さらに深い愛をキャッチしている人は、愛が何たるか、愛の人として生きるにはどうしたらいいか、なんて口に出すことはなくて、ただその人自身の愛を放射しているものなのではないでしょうか。
「これが愛なんだよ」という意識もなく。
意識しなくても愛があふれてしまう。
ばらを視て、そんなことが思い浮かんできました。
芳香浴って、鼻でかぎわけるものですよね、匂い成分を。
ひょっとして私たちは五感以外の何かで、ばらのメッセージをキャッチすることができるのかもしれません。
動物君は、きっとそれを知っている。
その状態があたりまえなんだ、ということも。
そう言えば、きょうもばら園でくまんばちに遭遇。
ずんぐりむっくりの体形がとてもかわいくて、思わず笑みがこぼれます。
何年前からかな、蜂が全然怖くなくなったのは。
蜂は人間側が「怖い」という波動を出さない限り、襲ってこないという話を聴いたことがあります。
私は小さい頃、蜂にさされたことがあって、それなりにトラウマがあるはずなんですが、ここ最近は蜂が寄ってきても「大丈夫だからね」と蜂に語りかけるようにしています。そのせいなのか、蜂たちは、頭の周りを飛び続けることはあっても、攻撃を仕掛けてくることはありません。
人間同士もそうなのかも。
自分がトンガるから、相手もトンガるのでは ?
ばら園での芳香浴、楽しかったな。
エッセンシャル・オイルがなくたって、十分楽しめますね、植物たちの力。
※ 追記
参考 『アニマルスピーク~自然の力を借りる』 テッド・アンドリューズ著
当エッセイを執筆する時は、たいていの場合参考文献をみません。思いつくままに書くことが多いんです。
ただし、上記参考文献だけは、そこそこ活用させてもらっています。
なんとなく、本のタイトル通りのことが起きているような気がしています。