当エッセイ、シリーズ・コンテンツとして「600」個目。
次のエッセイから、「ひかりのしずく 7」に入ります。いよいよ「700」個目に向けて、ということですね。
当エッセイは、なにものかの関与が強く、続けて3つくらい執筆すると、私自身の波動がみるみる上がってしまいます。
最初はそれがおもしろくて、促されるままアップしていたのですが、途中で少しペースを落とすことに。
波動、という言葉自体、うさん臭いと感じる人もあるかもしれません。それはそれ。感じ方は人それぞれですから。
なぜ、ペースを落としたかというと、私の場合、どちらかというと「高次」の存在につながりやすいタイプのようで、面白がってそこにはまっていると、地に足がつく感覚が薄れて、本当にフワフワしてしまいそうになることを感じたからです。
波動は高ければいいってものでもなくて、その人の身の丈に合った波動上昇のペースがあって、それを外してしまうと、そのままあちらの世界に行ってしまうこともあるらしい、という現実に気づきました。
例えば霊能力の強い人、例えばスピリチュアル、スピリチュアリズムなどに極端に傾いている人にそういう傾向の人が少なくないようです。
それはそれでその人の人生の課題、シナリオなので、私がどうのこうの、というべきことではないのですが、自分自身に置き換えてみて、「ヤバい、今、フワフワしすぎだ」という、その一つの指標を指し示してもらったような気がします。
波動の言葉ついでに、「チャネリング」という言葉があります。
実は、私たちはみんなチャネリングをしています。この文章ももちろん。
そのことに気づいていない人がほとんどです。そういう人は「チャネラー」を特別視します。時に神格化します。
どんなに立派なことが書かれていても、それが100%の真実とは限りません。必ず、その人のフィルターが通されるから。
私の文章もそうです。私の人生の課題をベースにした、私バージョンのフィルターが通されてこういう内容、こういう文章が形になっています。
ということは、私にとっては100%なのかもしれませんよね。けれど、それが万人にとっての100%であるわけがなくて。みんなおんなじなんです。どんなに「立派な存在の名前」を掲げているチャネラーさんでも。
このことはおそらくかなりの確率でまちがいのないお話です。
そしてチャネリングをする時に、その人にふさわしい「霊存在」が関与しているようです。ただし、私たちのように一般的な感覚の持ち主はそのことさえ気づくことができません。
だからと言って気づいた人の方が優れていて、気づかない人の方が劣っているわけではありません。
ですから、そもそも「チャネリングを得意とする人、得意としている人」は特別でもなんでもないということです。
以前、他のサイトでブログをアップしていた頃にはそのことはわかりませんでした。当サイト、当エッセイを執筆することによって、そのことが明確にわかるようになりました。
ということは、当サイトには紛れもなく、何らかの霊存在が関与しています。本当は、以前のサイトにも関与していたのですが、私自身がそれに気づけなかった。
こうやって、霊存在との関わりは時を経るにつれて深くなっていくみたいです。
だからこそ面白がって、ここに埋没していたら、霊存在にイニシアチブを握られてしまう。すると、どこかで浮遊感が生まれる。
人間が人間として等身大、自然体で生きていくためには、地に足をつけることが大切。
フワフワした内容を書いているようでも、いえ、書いているからこそ、そのことに何よりも気を付けています。
まだまだこちらの世界でやりたいことがたくさんあるんですもの。
そうそう、念のため。
誰にでも霊存在のサポートは入っている。霊存在そのものが特別なものではない、というのが今の私の真実です。
さて、記念すべき600個目のエッセイ、いかがでしたか。