〇〇しなければいけない。
〇〇であるべき。
〇〇はいけない。
これらはすべて「抑圧」の意識です。
今まで私たちは、「完璧」に抑圧時代に生きていました。
お国のために、〇〇でなければいけない。
神仏のために、〇〇であるべき。
人として、〇〇はいけない。
もちろん、「抑圧」の中にもメリットはあって、それで保たれてきた秩序などもたくさんあるのではないでしょうか。それによって護られてきたことがたくさんあるはずです。
このすべてが「解放の時」となったようです。
これは、「抑圧」はいけなくて、「解放」が良い、という意味ではありません。
「抑圧」もあり、「解放」もあり、そのいずれもが同等である、という意識にどこまで近づけるか、ということです。
「抑圧」なくして「解放」はありません。最初から「解放」だけ、という状態はあり得ないのです。
「抑圧力」の強い自分に、「あなたは抑圧が強くてダメだね」と話しかければ、それもまた「抑圧」エネルギーにつながってしまいます。
「あなたは抑圧力が強いよね。そろそろ解放してもいいんじゃない ? 強い抑圧力のお蔭で、ずば抜けて解放のパワーが強くなるはずだから」
まず、「抑圧」の受容。実は受容さえしてしまえば、自然に解放が生まれます。「さぁ、解放するぞ」と意気込まなくても。
さて。
平成の最後、私の中に浮かんできたのは、一つには「過去に対する失望感」、そしてもう一つは「大きな不安」です。
過去に対する失望感は、過去生まで含まれているのか、あるいは他の人の分まで含まれているのかわかりません。ただし、相当な失望感が私の中に渦巻いているようなので時間をかけて感じつくしました。
過去に対する失望感を感じているうちは、今に対する希望も、将来に対する希望も視えてこないと感じたからです。言葉をかえると、私は完全に「過去」に生きている。その事実を自分自身で受け容れなさい、ということなのかもしれません。
「大きな不安」に関しては、人は誰でも「大きな不安」を抱えて生きている。その事実を受け容れなさい、というメッセージを感じました。誰一人、100%愛だけ、100%不安なし、なんてことはあり得ません。それなのに、私たちは「愛は良いけれど、不安はよくない」というような考え方をどこかで刷り込まれてしまっているようです。
きょうは、平成時代の大晦日。明日から、必ずエネルギーが変わります。
今、「改元」ブームで、この国全体が浮足だっています。
ウキウキ、ワクワクする一方で、それと同じ分の「不安」のエネルギーが発生しています。そのいずれもを認識する時ではないでしょうか。
改元ビジネスに関わっている人はすべて。提供者も消費者も。ということは、ほぼ全員になるかもしれませんね、消費能力がある世代であれば。
大きな失望感を感じれば、その先に大きな希望が視えてきます。
大きな不安を感じれば、その先に大きな安定、安心が視えてきます。
今、感じてしまえばいいのです、大きな暗闇を。
それが明日の夜明けにつながるのですから。
当新時代の風シリーズは、これで終了です。
なぜ、「新時代の風」を一か月前から執筆し続けたのか、私にはなんとなくその意味がわかっていて、同時に風を起こすのは自分自身なんだ、というメッセージを感じています。私の場合は、「書く」ことで風を起こせるのだよ、とも。それが私自身の人生になるのです。
明日から本当に変わるのか、きょうと同じ明日が続くのか。
今朝起きて感じたこと。
天皇は自らの意思で退位を決められたのですよね。
これが私たち一人一人への真のメッセージなのではないでしょうか。
天皇から、ではなく、まして為政者からでもなく。
こう書くと偉そうなので、ちっとも偉くもない、チッポケな自分をちゃんと抱きしめて。
※ 追記
2019/04/03、私は『新時代の風~平成とは「平らかに成す」』というエッセイを書いています。その中に、「ゼロ・ポイント」の言葉が出てきます。
本日、2019/04/30ですね。最後の「0」を取れば上記の日付と同じです。
「0」は、ゼロ・ポイントの「0」では ?