すべての命はあるがままで美しい。
これが平成終盤の私の意識でした。ところがこれには何か無理が生じるようで、頭ではそう感じてもハートが抵抗するらしいことがわかりました。
すべての命はあるがままで美しく、そして醜い。
なんと、こう思ったらハートの落ち着き加減がまるで変ってくるではありませんか。
そう、美しさにこだわれば、必ず「醜さ」というエネルギーが発生します。
あの人、美しい人よね、と感じれば、人は必ず潜在意識で、「でもあの人は醜いよね」と判断するようにできているものなのです。無意識のうちに。
あの人は醜いよね、の意識を自分に向けたらどうでしょう ?
あの人は美しくて素晴らしい存在だけど、私は醜くてどうしようもない存在だ、と自己否定が生まれませんか。
するとそのうち、その意識が膨らんで自分の中におさまりきらずに、外の誰かに対して、その意識を投影し始めてしまうようになります。
「あの人は美しくて素晴らしい存在。それと比較してあの人は醜くてどうしようもない存在」というように。
誰か、何かを美しいと感じる反面で、必ず何かを醜い存在として認識してしまう。
これが私たち人間の意識エネルギーの法則です。
それを逆手に取ります。
「あの人は美しい、同時に醜い」と思うのです。
ここでエネルギーの相殺が起こります。
試しにいろいろなパターンでこれを感じてみました。
私だけかもしれませんけど、こころがスッキリするんです、これだと。
例えば、視るからに綺麗な女性がいて、とてもその人にはかなわないと感じたとします。
けれど「そんなあの人にも醜いところはある」という意識を+すると、そのお相手に対する劣等感がほとんど感じられなくなります。
「あの人はあるがままで美しい人だけど、あるがままで醜い人でもある」と感じる。
自分自身にも通用します、この考え方。
「私はあるがままで美しい命だけど、あるがままで醜い命でもある」
最初に自己肯定があり、次に自己否定がある。けれど結果的にそれが自己肯定につながります。
つまり、人間はポジもあるし、ネガもあるし、両方あって当たり前。の法則が見事に働いてくれるのです。
平成の中盤、私は一時的に「ポジティブ・シンキング」にはまりました。最初は気持ち良かったけれど、そのうち、何かがしっくり感じられなくなりました。
平成の終盤、私は自分のネガティブを徹底的に受け容れました。「ポジティブ・シンキング」でフワフワになったハートがしっかり真ん中に戻ってくれた感覚を感じました。
さらに、平成の最後のこの時に、「ポジもネガもある」と、両方同時に受け容れることに成功。
新しい時代。私の生きる世界はもっと「フラット」になる。
「フラットは美しく、同時に醜い」
きょう、26日は、あちら在住、愛猫・海・かいとこちら在住、愛猫海・うみの月誕生日です。毎月、海・かいの月無命日と、お二人さんの月誕生日には、必ず、大きなプレゼントが届きます。
きょうのプレゼントは、「美しくて、醜い」。
「醜い」が「美しい」に劣る、なんてことはないんです。「醜い」と感じたら、その「醜さ」をしっかりと受け容れる。それがこころをより強く、しなやかにする秘訣です、私の場合の。