チューリップが咲きません。
咲いてもショボショボしている。
この、メッセージは ?
わがベランダのチューリップ、ビオラとの寄せ植えです。
毎年、ネット・ショップで購入。春になると10本くらいのチューリップとビオラが一斉に花開き、可憐だけど豪華なコンテナがわが家の定番になっていたのですが、今年は最初に「赤い」チューリップが咲いてくれただけで、次に続くのは半枯れ状態のものばかり。
現象面でみると、土の栄養が足りない、と考えられるかもしれません。でもビオラは満開です。
チューリップの精霊はそういう、目に視えることの外に何があるのかを感じて、と私に伝えてくれているようなのです。
チューリップは、世界初の「バブル」を起こした花なんだとか。当時の様子は、まさに「狂騒」だったと言います。チューリップの球根が高値になって、その後、暴落が起きるんですね。
時代は異なるものの日本でもチューリップは特別扱い。戦時中でもそれはそれは大切にされたと言います。
バクっとした解釈なので興味のある場合は、ご自身でもお調べいただくとおもしろいはずです。
さて、チューリップの精霊のメッセージはなんでしょう ?
バブルははじけた、狂騒の時代は終わった。
狂騒 = 競争、でもありそうです。
この二つから、過剰になりすぎた資本主義が落ち着いてくれるよ、ということを感じました。
さらに「特別扱い」の時代も終了。
そもそもお花に優れた花、優れていない花なんてものは存在しないし、存在したとしてもそれは私たち人間が勝手に決めた価値に過ぎません。
チューリップそのものは特別意識なんてないのに、人間が「この花は特別だよ」という価値観を投影しました。
特別、があれば、特別ではないものも存在してしまいます。
自分は特別なんだ、人は違うけどね。そういう価値観の人たちの想念が膨らんでチューリップ・バブルのきっかけを創ったのではないでしょうか。
誰か、何かを特別視すれば、必ずピラミッド社会ができあがって行きます。
すべて、人の意識が創り上げたものです。
私たちはすべてが特別な存在であり、すべてが普通の存在。
チューリップはそんなことを私に伝えたかったのではないでしょうか ?
たかだかチューリップです、されどチューリップでもありますよね。
チューリップを自分より低い立場の存在と視るか、チューリップにもまた一つ一つ個性があって、みんな大切な役割があると視るか。擬人化ではなく、個性を尊重できるか、ということなのかもしれません。
お花がショボショボしているのは、一見淋しいもの。自分もショボショボしているのかな、と。
そのショボショボにも意味がある、と思えば、大きなお役目果たしてくれたんだな、と感謝の対象になります。
私たち人間も視た目的にショボショボし始める時が必ず来るでしょう。それを人は「劣化」と呼んだりしています。一見「劣化」の中に、どんな価値を見出すのか、どんな意義を見出だすのか、一人一人のこころにかかってきます。
「半枯れ」もまた生物の美しい姿なんだ。そんな風に思えればみっけもの。
チューリップからのメッセージ、あなたはどんなことを感じるでしょうか ?
そう、最後に一つ。
男性性優位の世界観、社会観、「はじけました」。
これをどうとらえるかも、人それぞれですね。
個があるから全もある。全があるから個も、ある。