新時代の風~平成時代のモチベーションは「哀しみ」だった 2

さて、大切な人を喪った痛み、その「哀しみ」は、ある意味でモチベーションにつながることがわかりました。

 

私の場合、母の突然死には医療現場への不信感を伴っていたため、現代医療、病院、その他さまざまな医療全般に対する「疑問」を持つようになりました。

 

そのお蔭で、東洋医学をはじめ、代替医療と呼ばれるものに深く興味を持ちました。それは統合医療だったり、ホリスティック・ケアへの興味へともつながりました。今はさらに深層心理学まで含み、命まるごとでの「健やかさ」と「幸せ」の仕組みが視えはじめて来ています。

 

生まれた時から丈夫な方ではなかった私が、特定の健康法や栄養療法に頼らず、自己流のケアで、何年間も病院にお世話にならずに済んでいるのも、同時に愛犬、愛猫もあわせ、家族全員がみんな健やかに暮らしていられるのも、あの時の「哀しみ」があったからこそなのです。

 

哀しみは、歓びや愛などと比べると価値観が低いものなのでしょうか。

 

私自身、できればニコニコとして、いつも幸せ気分でいられたら、と思ってきたのも本当のところです。

 

が、実際には、無意識のところでこんなにも大きな「哀しみ」を抱え続けて生きてきていた。

 

その「哀しみ」が今の自分を支え、人様にもなんらかの幸せをお届けできるような活動をさせてくれていた、ということに、改めて驚きました。

 

一見、「負」の感情が、その実私たちの糧になってくれるということ。肺からの咳と鼻づまりがここまで続かなければ私はまるで気づくこともなかったでしょう。

 

ちなみに、この半年間、私は肺と鼻づまりに関して病院にも行っていませんし、これと言ってお薬なども飲んでいません。心配で気持ちが落ちることもありませんでした。

 

すべて流れに任せていました。

 

なぜか。

 

流れの中に答えはあると信じていたからです。

 

その答えのヒントは東洋医学と深層心理学の中にありました。

 

新たな時代。

 

私は「哀しみ」の抑圧を解放し、今度は生きる歓びと自由を感じながら「幸福感」の中にいられるように、今までの道の軌道修正をして進んでいきます。それでもまだ「哀しみ」を感じたり、「淋しさ」を感じたりはするのでしょうけれど。

 

母の死の昇華。

友人の死の昇華。

 

なぜこんなにも時間がかかってしまったのか。それでも最初が母で、最後は友人という、彼女たちとの縁に驚きつつも感謝、です。

 

私たちの身体にあらわれる症状は、外敵が攻撃をしかけている、というものではありません。

 

私たちが抑圧している何かに気づかせるための、身体からのシグナルに過ぎません。そのシグナルの意味に真摯に向き合い、自分なりの昇華を試みれば、たいていの症状は改善されていく、という考え方が今の私には一番しっくりきます。そう、病気もその症状も私たちの味方である、という考え方です。

 

もちろんそうではない考え方もあるでしょう。病に伏して苦しむご家族を前に、何もできなかったじくじたる思いを感じている場合などは特にそうではないでしょうか。私にもそういう体験はありますのでお気持ちはわかります。

 

それでもあえて、私が個人的にたどり着いたところは、敵ではなく味方、というものです。

 

私の平成は哀しみに彩られた時代でした。

 

それがあったからこそ、今度は歓びに彩られる時代が楽しみでなりません。

 

哀しみと歓び、幸福感。

 

すべて等価値。

 

どちらも、ポジティブであり、ネガティブでもあり、なのかもしれませんね。

 

そうそう。私は肺は「母の死」につながるものとして「良くないもの」と感じていたらしいこともわかりました。

 

肺に対しても、また死に対しても「良くも悪くもない」、ただ肺は肺、そして死は死、という考え方にたどり着きました。

 

半年続いたこの症状もやはりGiftだったのです、私にとっては。

 

当エッセイを執筆している間、咳は一度も出ませんし、鼻づまりもありません。

 

肺のお掃除、うまく行ったのかな。

 

これだけのメッセージを抱きかかえていたのですから、さぞかし肺は重かったでしょうね。

 

もう平気だよ、ありがとう、と肩をたたいてハグしたい気分です。

 

 

亡き母へ、亡き友へ。私へのお役目、終わりましたよ。今までありがとう、お二人とも。

 

 

 

 

 

 

 

 

※ 追記

 

執筆からアップまでに丸一日日を挟んでいます。

 

現在、咳も鼻づまりもなし。どうやら肺のお掃除、無事終了です。

 

2019/04/13執筆のものがどうして本日2019/04/15のアップになったのか。

 

今、確認したら、昨年亡くなった友人の命日がきょうでした。

 

そう言えば友人は東洋医学に関して深い知識をもっていました。

 

また彼女自身、喘息を患っていた時期があったことも思い出しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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