強風の中の、愛犬・華実とのお散歩。
風が強いので、華実の目にゴミが入るかもしれない。華実は顔の割に、目が大きい。
それでも誘惑に勝てず、やはり海・うみの公園まで足をのばしてしまいました。
さすがに強風の中、お散歩に出ているわんこはほとんどいません。私も華実も前進するのに相当力が必要でした。
海・うみは波うち、樹々は踊るかのように風にわが身を任せています。
お散歩コースの桜並木。桜の花びらが風に吹かれてキラキラと輝いていました。
風は、地球の呼吸だと言います。強風の時、地球は深呼吸をしているとも。
その風に吹かれると、私たちは肉体の周りに存在するとされるエネルギー体の掃除をしてもらえるんだとか。
そう。私のお散歩目的は風によるエネルギー体の大掃除でした。
エネルギー体の大掃除は、例えば瞑想をしたり、ヒーリングをしたり。それだけでもある程度の効果は期待できるようです。
ただし、地球の深呼吸であれば、そこに邪念が入りません。つまり「エゴ」のないピュアな愛のエネルギーでの大掃除になるわけで、考えようによっては贅沢極まりないヒーリングである、ということです。
風に抱かれて。
それはまさにマザー・アースの懐に包み込まれる感覚です。
華実の方が、私よりさらに地球との同調は得意なはず。
たとえ、少しくらい目にゴミが入ってもきちんと涙がそれを流してくれるし、人間のようにこする、という行為をしませんから、あとで目がかゆくなったり、まぶたがはれてしまったりは、実際は考えられません。そもそも地球が華実を優しく守ってくれるはずです。
家に戻ってからもそれらしいしぐさは見られないので、「目にゴミが入ったら」は、まったく余計な心配だったことがわかります。
お散歩をする時、華実はダイレクトに大地につながっていますから、グラウンディング、つまり地に足つけた行為で、華実の生命力にエネルギーが蓄えられます。
私自身もグラウンディングによって、エネルギー・センターへのパワー・チャージができることになります。
大地とのエネルギー交流によって、かたやエネルギー体の大掃除、かたや肉体にエネルギーを送るエネルギー・センターの調整と活性化ができてしまう。
強風のお蔭で桜吹雪も楽しめました。
家に戻って、かなりの爽快感。自然の癒やしの力は即効性があるようです。
自然は敵か、味方か。あえてそうわけるのなら、まちがいなく味方だと、私はそう感じています。
私たちだって、本来自然の一部。
自然から離れてしまった気分になるから、自然が攻撃する、と感じるようになるのではないでしょうか。
もちろん、自然による災害の恐ろしさは、私も知っています。
この土地は、東日本大震災での被災地となったところですから。
それでも、自然に抱かれていれば、お母さんの子宮の中にいるような安心感に包まれるのは、やはり私も自然の一部であることの証なのかもしれません。
風に抱かれて。
地球の呼吸に抱かれて。
呼吸は、「息をする」=「生きる」ことそのもの。
風に抱かれると、私たちは自分たちの生命の根源でのくつろぎを想い出すことができるのかもしれませんね。
命そのものへの瞑想。
もし仮に今までの「風」が冷たかったとしても、新しい時代の風は、私たちの味方であり、仲間であり、旅の友になってくれるのではないでしょうか。
私たちがこころを開けば。