2019年4月1日の「新元号」発表を受けて、チューリップから素敵なメッセージが届きました。
チューリップの花言葉は、「博愛」「思いやり」「すべての人を平等に愛すること」。
また、チューリップには女性性を癒し、子宮を癒す作用もあるんだとか。そこにはピュアな少女のように生きなさい、というメッセージが感じられますね。
さらに英語での花言葉の意味には、「真実の愛」「永遠の愛」「私を信じて」というものがあるそうです。
特にこの「私を信じて」。これはあなた自身を信じて、という意味。つまり、あなたはあなた自身を信じてね、それが真実の愛なのだから、ということにつながるのではないでしょうか。
わが家のベランダのチューリップ、一本だけ赤い花が咲いてくれました。ネットショップで購入した寄せ植えなので、何色が植わっているのかわからなかったのです。
開いてみてのお楽しみ。
赤、の色にも意味があるのでしょう。ちなみに赤は、「グラウンディング」の色でもあります。グラウンディングとは、地に足つけた生き方とその感覚のこと。マザー・アースのエネルギーとつながったよ、が赤色のもう一つのメッセージなのかもしれません。
とすると、私たちはマザー・アースにつながった時に、本来備わっている女性性、母性の力が発揮できて、ピュアな少女のように生きられる。それこそが、あちらから与えられた真実の愛なんだよ、あなたは愛の存在だとこころから信じて生きていいんだからね。
これが、今回のチューリップちゃんからのメッセージのようです。
女性性、母性はすべての人に備わった気質、素養です。誰一人例外はありません。
当エッセイ執筆の前に『性の解放』というエッセイを書いていました。なぜかまだアップできないでいたのですが、アップ前に「性の解放」がうまく行っちゃったみたいです。
その後に「新年号」の発表がありました。
「令和」
少し調べただけで、さまざまな人がさまざまな立場でさまざまな見解、感想を述べているのがわかります。
私はそこにチューリップの博愛を重ね合わせました。
「すべての人を平等に愛すること」
そのためにはまず自分への愛を確立すること。
それは健やかな自尊心の育みにつながり、「自律」の世界が拡がる、大切な一歩。
為政者の立場の人が放つ言葉に同一化する必要はありません。
もちろん同一化から歓びを感じる自由もあります。
今回のこの元号は、多様性の時代にピッタリのものではないでしょうか。
この「年号」に「光」を視るか、「恐れ」を視るか。それともいずれをも包括するのか。
その選択の自由はすべての人に平等に与えられています。
そう考えると、「言霊」について私が感じていた疑問が解けました。
言葉に良いも悪いもないはずなのに、なぜ人は「言霊」をこれほどまでに重視するのだろう。
言葉に命を吹き込むのは、その人自身に他ならない。
これが私の今の結論です。
その言葉自体が生きているのではなく、その言葉にどういう命を吹き込み、魂化するかは、すべて私たちに委ねられているということです。
一見「愛」の言葉が美しいのではありません。
自分の美しさを心から受け容れている人が発する言葉はどんな言葉でも「愛」であり、「美しい」ものなのです。その「美しさ」を受け容れるためには、自分の醜さも受け容れていることが必要です。「愛」を知る意味で、自分自身の「恐れ」を知っていることが大切なのです。
それが私の捉える「言霊」の個人的真理です。
「美しい言葉を使いなさい」「愛ある言葉を使いなさい」
そう言っている時点で「美しい言葉」と「美しくない言葉」を分け、「愛ある言葉」と「愛のない言葉」を分けている。
二極の世界。対立の世界。
もちろんそれが悪いのではなく、そこに流れているエネルギーが「分離」によるエネルギーだということ。
私たちの中には「分離意識」が息づいています。
その現実を受け容れることの大切さを、この「元号」が教えてくれました。
私の中ではすでに新時代が始まっています。
自律、そして自立の世界。
まだまだ行ったり来たりをくりかえしながら、ですけど。
※ 追記
当エッセイ執筆開始時間「13時13分」。
これは、世に言われるような「不吉な数字」の並びではなく、最強の並びだとする説があります。
あなたはどちらにフォーカスしますか。