前エッセイ同様、きょうも上位チャクラの活性化が進んでいるようです。
ハート・チャクラからノドのチャクラへのエネルギーの通り方が半端ではありません。チャクラとは体内のエネルギー・センターのこと。誰にでもあるもの。インドのヨーガの概念です。
せきとめていた川の水が自由に流れ出したような感覚。
放流、の快感です。
ふと、「自己憐憫」の概念が浮かんできました。潜在意識から表面化してくれたようですね、「自己憐憫」ちゃん。
自己憐憫とは、自分をかわいそうだ、と憐れむ感情です。その感情を感じたくないので、私たちは「自己憐憫」にフタをします。そもそも感じている感情を「ないもの」として自分の中に閉じ込めてしまうのです。
そもそもが「在る」感情なので、いつかそれがいっぱいいっぱいになってあふれ出します。その一つの方法として、他者にその感情を映し出すようになります。
「あぁ、なんてかわいそうな人」
「あぁ、なんて気の毒なんでしょう」
その意識は同情となっていきます。
同情は一見優しい感情のようですが、実は曲者。もちろん悪いものではないのですが、「過多」になると、今度は同情する相手を求めてしまうようになります。
いつも誰かに対して、何かに対して、「あぁ、あの人かわいそうだわ」という感情を持ち続けるようになります。
自分のエネルギーを他者のために使うわけですから、自分自身のエネルギーがどんどん枯れていきます。
その大元は、「私ってすごくかわいそうなの。誰か同情して」という意識エネルギーです。それが自分の中でどんどん膨らみ、今度は「かわいそうな状況の自分をキープ」しようとして、どんどん自分がかわいそうになる状況を引き寄せ続けるようになります。「かわいそうな自分」の自作自演が始まります。
どこかで止めないと、大変なことに。
それを止められるのは私たち自身だけ。
「自己憐憫」という感情が存在すること。
その感情は恥ずかしいことでもいけないことでもないこと。
自分が「自己憐憫」を感じていたら、「今、私は自分がかわいそうだ、と感じているんだ」と受け容れること。
この3ステップで、私たちの「自己憐憫」が人を巻き込んだり、暴走したりしなくて済むようになります。
私が何に対して「自分はかわいそう」と感じていたか、そんなことも一つ一つ思い浮かべてみました。
ものすごい勢いで流れて行ってくれたので、今後「自己憐憫」ちゃんとの関係は適切になるのではないかと期待しています。
感情との関係。それは人間関係とまったく同じです。
「嫌だからあっち行って。あなたのことなんか大嫌い」とはじこうとするか、「私はあの人が嫌いなんだわ。きっとあの人自身に自分を視ているからだわ。あの人のどこが嫌いなのか、少し落ち着いて観察してみよう。その前にこの気持ちを感じきってしまおう」、と一旦受け入れるか。
私たちには自己防衛本能があるため、どうしても前者が優先されることが多いもの。
その仕組み自体を理解しておくと、少しずつでも意識の働き方が変わってくるのを感じられます。
「自己憐憫」かぁ。
いろいろいますね、自分の中に住んでいる感情たちは。
同情心もまた徹底排除の姿勢は、必要ありません。徹底排除、徹底抗戦の姿勢を取れば取るほど、それは力をつけてきます。
ほどほど。ちょうど良い加減を探りましょう。
同情心が強すぎると、自分の生活にダメージが起きやすくなります。もしも何かのダメージがあらわれている場合は、「私って同情心が強いんじゃないかしら」と振り返ってみるのもいいかもしれませんね。
モノは使いよう。
逆に言うと、どんなものにも、ちゃんと意味、意義がある、ということ。
「自己憐憫」ちゃんが教えてくれました。
そう、「自己憐憫」を受け容れたことによって、「自己憐憫」もまた私たちの友になってくれたのです。
「敵対心」ではなく、「協力」「協調」の関係が始まりましたよ。
ありがとう。